伊賀史跡巡り2009(後半:藤堂采女家歴代の墓・柏野城・福地城・徳永寺)

6.西蓮寺・・・伊賀市長田1931。伊賀上野城代を務めた藤堂采女家の菩提寺。藤堂元則を始めとして歴代当主の墓がある。

感想:お墓がでかい。とにかくでかい。お寺の趣もいい。今回、行ったところで一番良かった。
 伊賀上野城が一望できるこのお寺を元則が菩提寺に選んだのは、死後も見守っていたいという元則の意向だろう。
 歴代当主の姓が途中から本姓の保田になっていた。

(山門)

(天正伊賀乱四百年記念碑)

(藤堂元則夫妻の墓)

(西蓮寺から伊賀上野城を望む)


7.柏野城・・・伊賀市柏野字宮ノ前にある。天正伊賀の乱で織田軍の猛攻撃を受けて落城。土塁・空堀などが良好に残っている。

感想:う~~ん・・・特に。確かに遺構は良く残っていた。

(空堀。写真だと良く分からないが、現物は素人の私でもはっきり分かるくらい良好な状態でした)

(土塁)


8.福地城・・・伊賀市柘植町にある。天正伊賀の乱で信長についた福地氏の居城。信長が横死した後は衰退したという。福地氏は松尾芭蕉の先祖と言われ、現在ここは芭蕉公園となっている。石垣・空堀などが残っている。

感想:名前の通り、あちこちに句があるなど芭蕉中心の公園となっていた。ただ城としても見所があった。

(公園の入り口?)

9.徳永寺・・・伊賀市柘植町2318にある。伊賀越えの際、家康が寄って休憩している。また福地城主・福地氏歴代の墓もある。

感想:この寺に案内したのが福地氏とのこと。そのまま家康についていった福地一族は静岡市に住み、現在も子孫の方がお住まいらしい。
 家康を助けたと言うことで、お寺には葵の御紋が下賜された。

(本堂)

(葵の御紋)


 これにて終了。渋滞の中、帰った。

本日の感想:行きたかった藤堂家関係のお墓にほぼ行けたので満足。伊賀と言えば忍者だけど、良く知らないので、あんまり行っていない。
 同行してくださった皆様、ありがとうございました!

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