但馬塚(安並但馬の墓)

●但馬塚(安並但馬の墓)
住所:高知県高岡郡佐川町西組
駐車場:無し

 元亀元(1570)年、長宗我部元親は斗賀野城の米森玄蕃を滅ぼし城に安並但馬を入れた。しかし玄蕃を慕う領民達が城を攻撃し、但馬は逃亡中に西組字姉ケ瀬の薮の中に潜伏したところを見つかり領民の手で殺されたという。

(但馬塚1。五輪塔が建ち以前は標柱もあった)
但馬塚1

(但馬塚2。佐川郷史によると姉ケ瀬に不入の藪として祀られていたが、開墾により現在の形となった。後年に建てられた供養塔だと思われる塚があったようだが、今はそれも無くなり祠だけが残っている。田んぼの一角にポツンとあった。無造作に置いてある資材が哀愁を誘う)
但馬塚2

感想:但馬塚2の直ぐ北が字姉ケ瀬ですが、現在とは字の範囲が変わっており但馬塚2の辺りも姉ケ瀬だった可能性があるそうです。どちらが本当の但馬塚かは不明です。


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