元親公初陣祭り(1日目:岡豊城船着き場・吸江寺・薫的神社・毛利勝永屋敷跡)

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 平成20年5月23日、高知県長浜にある長宗我部元親の銅像の前で元親公初陣祭りがあるという情報をネットで知り、再び高知に行ってみた。
 5月23日に夜行バスで名古屋を出発し、朝の7時には高知駅に着いた。あまり寝られなくて疲れた・・・>< 今回は公共交通機関での旅の予定だったが、車を借りることが出来たので、それで移動することにした。
1:南国市の岡豊城の国分川沿いにある船着き場。

2:伊達兵部宗勝の墓・・・高知市五台山にある。伊達政宗の息子。伊達騒動の中心人物として罰を受け、高知に蟄居となった。この伊達騒動には、伊達兵部の一派と敵対した柴田外記が長宗我部元親の孫、伊達兵部を土佐で見張ったのが香宗我部家直系の子孫だった中山秀政と長宗我部家も関わっている。
 中腹にひっそりとある。お墓までの道は石畳で雨の日はすべるので注意が必要。

3:吸江寺・・・高知市五台山の麓にある。長宗我部氏が寺奉行を務めた寺と言われている。

4:清川神社・・・高知県高知市比島町にある。政情不安が続いた際に、山内家に恨みを持つ長宗我部元親・野中兼山・薫的和尚を鎮めるために建てられた神社。
 隣の熊野神社が明らかに目立っており、そこにある碑にも「最初に清川神社があって、その後、熊野神社に敷地を提供したが、ひさしを貸して母屋を取られるの状態になってしまった」ようなことが書いてあったと同行していただいた方が言っておられた。

5:薫的神社・・・高知県高知市洞ケ島町にある。ここは元々、瑞応寺という国親の菩提を弔うお寺で、元親が岡豊城から大高坂城に移転する際に、一緒に移動させた。薫的和尚はここの住職だったが、山内家二代藩主・忠義の法名と格式を巡って真如寺と争い破れ、絶食して亡くなった。

6:毛利勝信(吉成)の屋敷跡・・・高知県高知市丸ノ内の城西公園辺りだと言われている。西軍についた豊臣家の家臣・毛利勝信はこの辺りの屋敷に蟄居させられたが、3000石もの知行を与えられ、鷹狩りもするなど結構気軽な身分だったらしい。
 昭和50年代まで高知刑務所があったが移転したため、現在は城西公園となっている。高知城の北西にある。

7:吉良神社跡・・・高知県高知市越前町にある。長宗我部家の家督相続で元親の方針に反対して切腹させられた7人の家臣を祀った神社があったが、学校建設のために移転させられた。現在は、高知市山ノ瑞町70の若一王子宮内にあるらしいのだが未見。
 疲れていたので確認しなかったが、今、地図で見るとすぐ近くだった。行けば良かった・・・次、行こう・・・。
 これは吉良親実自刃地の碑である。

8:毛利勝永屋敷跡・・・高知県高知市中久万の小山の辺りだと言われている。
 この近くの久万川に停泊させていた船で浦戸港に出て土佐を脱出し、大坂城に駆けつけた説あり。昔は碑があったらしいが、道路拡張で撤去され今は何もないとのこと。悲しいTT

 これでこの日はおしまい。夜行バスでの疲れがあったので、ホテルに行って11時間ほど寝た。

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4 thoughts on “元親公初陣祭り(1日目:岡豊城船着き場・吸江寺・薫的神社・毛利勝永屋敷跡)

  1. >柳葉さんへ
    ここは何にもないですよ^^; ただ高知城から真北の高台という立地条件にあったので、優遇されていたんだなあ、と感じました。
    碑は本当に残念です。ほかの場所でもこういうことが起きているんでしょうね・・・--;

  2. 私も勝永好きなので、屋敷跡にも行けていいなあ~☆と思いました。
    碑が無くなったのは残念です(>_<)

  3. 清川神社は、元親を鎮めると言うよりも、長宗我部の旧臣を押さえるためだったという気がします。おっしゃるとおり、200年以上経っても元親の威光の残照があったということでしょう。

    長宗我部氏は家督相続の件が無くても、いつかこの手の事件が起こったでしょうね・・・。ただここまで悲惨にはならなかったかもしれませんが。

  4. >清川神社

    元親も荒ぶる神になってたんですね。知りませんでした。
    江戸時代になっても、それだけ土佐の民にとっては精神的支柱だったのかもしれませんね。

    >吉良神社

    吉良神社といえば七人みさきで有名ですが、こういう怪異譚が生まれるくらい、家督問題は長宗我部家に暗い影を落としていたということでしょうね・・・。

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