高知県史跡巡り2006(前編:徳島城・川島城・岡豊城・岡豊八幡宮)

 平成18年10月21日(土)、長宗我部盛親 土佐武士の名誉と意地を見るために、高知県に行くことにする。長宗我部ファンなのに12年ぶりの高知県・・・。車で行くにはお金がかかるし、公共交通機関だと不便だし、ってことでなかなか行けなかったTT
 前回の群馬行と同じく、ETCの深夜割引を使うために朝の2時半に出発。ちょっときつい・・・ーー; 取りあえずがんばって明石海峡まで一気に行く。ここで日が出てきた。

(明石海峡)

 ここで同行者と運転を交替。それから淡路島を抜けて徳島県に入る。おお!鳴門海峡だ。この時点でまだ朝の6時半。同行者が「吉野川沿いの国道はスイスイ行けるから降りてもいいかも」と言うので、私が「じゃあ徳島城に行きたい」とわがままを言って連れて行ってもらうことに。朝の7時半に徳島城に到着。そこで同行者が一言。「ああ、何度か徳島には来ているけど、よく見る門は徳島城のだったんだ」。歴史に興味なければそんなもんだよね・・・ーー;

(徳島城と太極拳)

 それから蜂須賀家政の銅像が分からなくて迷ったりした後、徳島市を出発。ナビに一宮城があったけど、さすがにそこまでわがままを言えなかった。そしてそのまま吉野川沿いに高知県方面を目指す。しかし途中の吉野川市で模擬天守が見えてきたので、寄ってみた。川島城ねえ・・・。携帯で調べてみたら、林能勝の城だった。高知県にしか行かないつもりだったので、他はまったく調べてなかったんだよね。もちろん撮影する。

(川島城)

 再び国道に戻って、ずっとずっと西に向かう。三好市に着いた頃、私がまたわがままを言って「白地城に行きたい」というと、承諾してくれて行ってもらう。ここは長宗我部元親が四国制覇の拠点とした城・・・だが、かんぽの宿を建てるために遺構を破壊しまくったので、何もない。しかもそのかんぽの宿は今年の3月で閉鎖。じゃあ、最初から遺構を壊してまで建てるなよ・・・。

(白地城跡)

 それからこの近くにある雲辺寺に行きたいと言い、地図を見る。道はあるようだが・・・。そこで同行者が一言。「これはたぶん徳島側から車で行くのは無理だ。四国の山の中にある道を甘く見てはいけない。とんでもない道が多い」とのこと。しかしどうしても行きたいと言って、その道の出発点まで行くが・・・道は軽自動車1台通るのがやっと>< 諦めました。さすがに香川県側から遠回りして行きたいとは言えなかった・・・。
 ということで、今度は同行者の希望で金比羅山へ。うどんを食べた後、がんばって登ってみた。普通は800段くらいのところで終わるのだが、同行者が「最後まで登らないと駄目」と言うので、1400段ある一番奥まで行った。確かにちょっときつかったけど、富士山を登った時のことを思えば、たいしたことは無かった。

(金比羅山から見る讃岐平野)

 香川県はこれだけで終わり。さていよいよ高知県に行くことに。高知自動車道を使って南国市に到着。そして高知県立歴史民俗資料館に行く。誰もいないだろうなあ、と思っていたら駐車場はいっぱいだった。

(高知県立歴史民俗資料館)

 中に入り、受付に言われたとおり、盛親展のやっている地下に行くと、人だかりが・・・。ちょうど学芸員の方が四国征伐の部分から説明をされている最中だった。同行者の許可をもらって、聞くことに。それからゆっくりと、戸次川の戦い・家督問題・関ヶ原の戦い・大坂の陣と悲哀の漂う部分を聞いた。久武親直が、加藤家に仕えた後に長宗我部家再興に動いていたなど、いろいろ勉強になりました。親直は亡国の原因のように言われていますが、彼は彼の立場でいろいろと考えていたんでしょう。
 説明を聞き終わると同行者が「栄光の日々の話がなかったね。最後は寺子屋の先生か。悲惨だね」と一言。そりゃ四国征伐から聞けば、そう思うわな・・・--; でも、学芸員の方の説明が上手で、同行者も、専門用語や家臣名が説明なしでバンバン出てきても面白かったと言ってくれたので一安心。1時間以上の長丁場だったから、聞いている最中、退屈していないか心配だった。
 それから他のフロアもちょちょいと廻って、本を数冊買った後、再現された盛親本陣を撮影して終了。受付の方に「陣羽織などを着て撮影しますか?」と聞かれたが断った。それはさすがに・・・ーー;

(長宗我部氏の本陣。再現っていうのかなあ・・・)

 資料館を出ると、ここが建っている岡豊城の散策に。とは言っても時間が無かったので、さらさらっと廻って終了。私もそんなに興味があった訳でもないし。

(岡豊城跡の碑)

 それから本日最後のわがままとして元親が戦勝を祈願したと言われている岡豊八幡宮に行く。ここが入り口が分からなくて苦労した・・・。しかも入り口から本殿までめちゃくちゃ登らなくちゃ行けなくて、その上、途中に映えていた草の種がジーパンや靴にこびりついた・・・。蜘蛛の巣も多かったし。こりゃ誰も来ていないな・・・。

(岡豊八幡宮の東側入り口。ここからが長いのなんの・・・)

 これにてやっと本日の予定が終了。高知市内のホテルに向かう。高知市は路面電車がある以外は山陰の主要都市と雰囲気がそっくり・・・ーー; 四国は自然の雰囲気が中国地方と似ているせいもあってよその県に来た気がしない・・・。さすが島根県のライバル、高知県。二つの県とも横に長くて人口が少なくて山が多い。そして過疎化が深刻・・・。
 それはともかくホテルでちょっとだけゆっくりすると、ホテルの方に食事をする場所を聞いて、近くの商店街にある「ひろめ市場」に行く。私はあんまりこだわりがないのだが、同行者が土地のものが食べたいというので、時季は違うが鰹を食べまくった。
 帰りに高知の無料就職情報誌があったので見てみる。「仕事が結構あるなあ」と思っていていたら、愛知県刈谷市とか広島県東広島市とかだった・・・。やっぱり山陰と同じで県外に出ないと仕事があまりないんだね・・・。都会の方には分からないかもしれないが、地元が好きでも、したい仕事は県内になくて、どうしても出ないといけないという状況になることが多い。私も地元で仕事を探したけど、結局うまく行かず県外に出たもんな・・・。
 そんなこんなでホテルに戻ると、就寝。明日は高知市内を回ります。
本日の感想:他の県はともかく高知県は知らない土地に来た気がしなかったので、感動がまったくなかった。実家に戻った気分だった。あと、今日は欲張り過ぎて疲れたので、資料館で学芸員の方の話に集中するのに、かなり気合いがいった。

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高知県史跡巡り2006(前編:徳島城・川島城・岡豊城・岡豊八幡宮)」への4件のフィードバック

  1. >必要以上に美談化されても白けますよね
    これはありそうですね。親直はメジャーな人じゃあないから、あまり話題ならないので、極論はでないでしょうけど、有名な人は「義の人」や「悲劇の人」になったり、「大悪人」になったり、大忙し。
    まあ、その方が分かりやすいからでしょうけど・・・。世の中、そうやって分けられたら楽なんですが。

  2. 親直視点の長宗我部物語も面白そうです。
    徹底した自己犠牲による嫌われ役、辺りに落ち着きそうな気はしますが(我ながら着想が安易だな)、必要以上に美談化されても白けますよね。

  3. 私も一宮城は時間的に無理でした。
    瀬戸大橋は一回渡ったのと、淡路島に行きたかったので、あちら経由で行ってみました。

  4. 同じく一宮城はパスしました。山城登っているような時間に余裕がなかったので…。徳島城は本丸まで行ったのに麓の庭園と比べて期待外れでした(笑)筑後川さんたちは淡路島経由って行ったんですねー

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