鹿児島県史跡巡り2009(1日目前半:島津義弘の居城跡・膝つき栗毛の墓・岩剣城)

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 平成21年3月3日(火)、中部国際空港から鹿児島にど~んと行ってみる。飛行機でも1時間半か・・・。やはり遠いな。途中、高知県を通ったけど何も見えなかった。残念。
 9:45には到着。今回もレンタカーを借りて戦国関係の史跡を廻ります。
1.南浦文之の墓・・・姶良郡加治木町反土にある。大隅安国寺の住職。島津家の外交官として活躍した。毛利の安国寺恵瓊・長宗我部の栄音・島津の南浦文之が西国の三大外交僧といったところでしょうか。
 駐車場があったのがありがたかった。

2.島津義弘の居城跡(稲荷神社)・・・姶良郡姶良町脇元にある。1595~1606年までここに義弘が住んでいた(別の場所に移住していた時期あり)。

 ここで膝つき栗毛という義弘の愛馬の墓が近くにあるのを知る。そこで近所の方にわざわざ案内してもらった。ありがとうございます!
3.膝つき栗毛の墓・・・姶良郡姶良町の脇元だと思う、、、。義弘が槍で突かれそうになった際、膝をついて窮地を救ったという逸話からこう呼ばれるようになった。

4.平山城・・・姶良郡姶良町鍋倉にある。1545年に島津貴久が落とした。城跡に建っている八幡神社では島津義弘が朝鮮出兵・関ヶ原の戦いの際に戦勝祈願を行なっている。
 遺構はよく分からなかった。

5.平松城・・・姶良郡姶良町平松にある。近くの岩剣城に在番することになった島津義弘だが、山頂までの道が険しかったため、近くに居城を築いたのが平松城の始まりである。現在は重富小学校となっている。石垣が残っている。

6.岩剣城・・・姶良郡姶良町にある。1554年の戦いの際、鉄砲が使われたが、これが実戦で初めて使われたものだと言われている。
 ご覧の通りの山城で、義弘が登るのを嫌がったくらいなので、重富小学校から写真を撮影して終わった。


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4 thoughts on “鹿児島県史跡巡り2009(1日目前半:島津義弘の居城跡・膝つき栗毛の墓・岩剣城)

  1. >キヘイジさん
    急襲・・・ですね。ほとんど誰にも目的地を言わなくて行きましたから^^;

    お墓は天気のせいもありますが、やっぱり本堂とかないのが原因じゃないでしょうか。

    家久関係の史跡もありますが、歳久のようにお墓や供養塔がたくさんあるという訳では無さそうです。

  2. >柳葉さん
    岩剣城、見ただけで登る気が失せました。ネットで検索しても登った人はいないような・・・。

    私こそスタンプラリーは不謹慎とは思いましたが、それが出来るくらいありますよね。
    歳久はそんなにメジャーな武将じゃないですが、地元では大英雄みたいです。

    「さあ」はおっしゃるとおり、「様」の薩摩訛りのようです。
    ジメサア像は鹿児島市役所の女性職員が始めたそうで、10月5日の命日には、おしろいや口紅を塗って、持明院にあやかる風習が残っているそうです。

  3. 九州に急襲(しーん)していたとは!さすがです!

    確かに、どこか寂しい感じのお墓ばかりですね。
    天気のせいもあるかもしれませんが。

    4兄弟の方の家久の史跡は少ないんでしょうか?

  4. 九州入りされたのですね。
    岩剣城、見るからにすごい急そうな山ですね!攻めにくそうです・・。

    「スタンプラリーができそう」という表現には、ちょっと笑ってしまったのですが(すみません)、墓と供養塔が合わせて24個・・というのも珍しいですよね?それほど地域の方に慕われてたというのが、はっきりわかりますね。

    「○○サア」というのは「様」という意味ですね?ジメサア像には驚きました(ーー;)これは珍しい。そして、こ、怖いなあ。昔からこの絵ならば、塗装(?)が取れたら何度も描き直されてるんでしょうか。

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