讃岐獅子の鼻城(大平氏の居城)

●讃岐獅子の鼻城
住所:香川県観音寺市豊浜町和田乙117
駐車場:無し

 標高約80メートル。大谷山から北東に延びた尾根の先端に築かれた山城で形から『獅子の鼻』の名が付いたという。駿河から来たとも土佐の大平氏の分流とも伝わる讃岐大平氏の居城で、伊予・阿波との国境近くに位置する要衝だった。
 戦国時代の当主・大平国祐は香川氏に仕えていたが天正6(1578)年に長宗我部元親の讃岐侵攻で城を追われる。四国攻めの後、国祐は讃岐を支配した仙石秀久に仕え、天正14(1586)年の戸次川の戦いでは長男を失うほどの苦戦をしたが無事に帰国した。戦いの責任を負って主君の秀久が改易されると、国祐も野に下り旧臣に養われたという。

(左端が城で、やや右寄りの伽藍が国祐寺)
全景

(木戸口跡。ここから登るらしいが途中で道が分からなくなり断念)
木戸口跡

(木戸口跡近くにあった公園。ここにも上に登る道があったが途中で行き止まりになっていた)
公園

(上記の公園にあった碑。ここで須恵器(古墳時代の窯器)が出土したらしい)
碑

感想:土塁・空堀・曲輪があるらしいのですが、当然見てません。


写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA