讃岐雨滝城(安富氏の居城)

●讃岐雨滝城
住所:香川県さぬき市津田町津田・大川町冨田・寒川町神前
駐車場:登り口付近に駐車スペースが有るが、雨滝自然科学館の辺りで駐車して歩いた方が無難

 標高253メートル(比高210メートル)の雨滝山に築かれた山城。城主の安富氏は下総の出身で室町幕府の重臣・細川頼之に仕え、応安年間(1368~75年)讃岐に入り、長禄年間(1457~60)に雨滝城を築城したという。応仁の乱では細川四天王の一人として活躍した。その後、東讃の守護代になるが香西氏など大身の領主が多く統治は安定しなかった。
 元亀3(1572)年、安友盛定は三好長治の重臣・篠原紫雲と婚姻関係にあったことから両者で昼寝城主・寒川氏に圧力をかけ、虎丸城引田城を譲渡させる。そして盛定は虎丸城に移り、雨滝城は家臣の六車宗旦が城代となった。天正10(1582)年、中富川の戦いで長宗我部元親に敗北した十河存保が虎丸城に入ると盛定は雨滝城に戻る。翌年、元親が東讃にも侵攻。盛定は羽柴秀吉を頼って播磨に逃れ宗旦に守備を任せたが、宗旦は元親に抗しきれず降伏した。その後、安富氏は四国攻めで長宗我部軍が土佐に撤退すると仙石秀久に仕えたという。

(全景)
全景

(入口。登山道が整備されていた)
入口

(西端の切岸と曲輪。登りは左側に何段にもなった曲輪があった)
西端の切岸と曲輪

(虎口かな、と思って撮影)
虎口

(本郭)
本郭

(本郭に建つ祠。昭和34(1959)年に建てられたそうな)
祠

(本郭から東方面を望む。正面の港は津田港だと思う)
津田

感想:北と東にも遺構があったそうですが、道が無いので行きませんでした。
 城の入口まで車で行けますが道が狭いので止めておいた方がいいです。

参考文献:香川県中世城館跡詳細分布調査報告、寒川町史、大内町史、日本城郭大系

(縄張図)
縄張図


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