2014年愛媛・香川行き(3日目その4:仙石秀久の墓・聖通寺城)

Pocket

・聖通寺・・・香川県綾歌郡宇多津町坂下2805。真言宗。行基の開基と伝わるが詳細は不明。1362年の白峰合戦の際、細川頼之が当寺の住職に祈祷させたおかげで勝利できたため伽藍を再興している。天文年間(1532~1555年)、兵火により伽藍が焼失し、生駒氏の讃岐国主時代に冷遇され荒廃したが、松平氏が高松藩主になると庇護を受け再興している。
 仙石秀久が讃岐を治めていた時、一揆が起き秀久は当寺の近くで首謀者を処刑したという伝承がある。

(境内)

(本堂)

(本堂近くに建つ仙石秀久の墓。左が本人で右が奥さんだろうか? 秀久は讃岐国主時代に当寺を庇護している)

・聖通寺城・・・香川県綾歌郡宇多津町坂下。応仁の乱の頃、細川四天王の一人・奈良氏が鵜足郡・那珂郡の支配のため築いた城。1582年、長宗我部元親軍の来襲を知った奈良元政は抗しきれないと考え城を捨てて逃げている。その後、讃岐一国を与えられた仙石秀久の居城となったが、すぐに改易され生駒氏が入る。しかし生駒氏が高松城を築いて移ったため廃城となった。

(遠望)

(城跡の一部である積石塚古墳。仙石秀久の投石によって出来たという伝承がある)

(平山城跡の碑)

(今、聖通寺山は恋人の聖地になっている。写真は積石塚古墳の近くにあった喫茶店?結婚式場?)

(聖通寺山から見た瀬戸内海と瀬戸大橋)

 次の目的地に向かう途中、ハタダで休憩した。土産でも買おうかなと思って知人に「タルトは好きですか?」とメールしたら「嫌いです」と帰ってきた…。そうですか…。嫌いですか…。
(ハタダにいたバリィさん)




写真の提供についてはこちらをクリック




Pocket

2 thoughts on “2014年愛媛・香川行き(3日目その4:仙石秀久の墓・聖通寺城)

  1. 情報ありがとうございます。
    恥ずかしながら『南海通記』は一部しか目を通したことがありません。
    天正13年頃の讃岐は長宗我部の侵攻など長引く戦乱と天候不順で疲弊していたようですね。それで増税だと反対もありますよね…。
    仙石秀久も長く統治していれば讃岐での評価も変わったのでしょうが。

  2. 権兵衛の処刑した人びとの話は『南海通記』に出てきます。国人達の戦時の避難に使っていた隠れ里の領主が、その役目故に免税されてたのを、権兵衛がこれから税を納める様に通達したところ、反発して納税を拒否(既得権益を侵される訳ですから)権兵衛は彼らを処刑します。民心が安定してない時にいきなり苛烈な処置に讃岐の民はあまり従わなかったと言います。

    後に戸次川の陣で讃岐衆を十河隊が指揮していたのは、その辺りの事情も勘案する必要が有るでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA