兵庫県史跡巡り2010(4日目:坪谷御廟・村岡陣屋・山名豊国の霊廟)

 2010年7月13日(火)、全国で大雨警報が出ているが帰るしかない。そして史跡に行くしかない。
 国道9号線をひたすら東に移動。長い・・・そして工事が多くて渋滞が多い。やっぱり山陰は不便だな。

17.坪谷御廟・・・美方郡香美町村岡区。山名豊国が藩祖の村岡藩歴代藩主の御廟の一つ。3~10代及び重臣(太田垣氏など)の墓がある。

(入り口。正面の墓石群が重臣の墓)

(山名氏歴代の墓)

18.村岡陣屋・・・美方郡香美町村岡区村岡723。因幡守護だった山名豊国は関ヶ原の戦いで東軍に付き6700石を与えられる。豊国と2代は村岡区福岡に陣屋を置いたが、3代・矩豊が村岡に移転。以来、村岡は宿場町として栄えた。現在は公園となっており遺構らしきものはほとんどない。
感想:雨の日の誰もいない公園は寂しいのう・・・。

(復元された陣屋門)

(公園の一部)

19.法雲寺・・・美方郡香美町村岡区村岡2365。山名氏の菩提寺。山名氏に関する資料を多数保管しており資料館で見ることが出来る。全国山名氏一族会の総事務局もある。
感想:どなたもお見えじゃなくて資料館を開けてもらえず諦めて帰った。お寺の人を待とうかと思ったけどいつ戻られるか分からんかったし。

(山門)

(資料館)


20.一二峠御廟・・・美方郡香美町村岡区萩山。山名豊国の供養塔がある。
感想:地図で見たらとんでもない道だったので心配していたら、普通の農道で普通車も楽々だった。兵庫県だもんな・・・。
 去年、行こうとして来られなかった場所。でも、こんなに遠いなら行かなくて良かった気がした。鳥取市からも1時間以上かかるし。
 ここの地区は商店街などあちこちで二両引きの家紋が使われていた。あまり評判のよろしくない豊国だが、ここでは慕われているようなことが書いてあった。まあ因幡では大国の論理に振り回されて変節漢のような行動を取るしか無かったわけで責められる謂われはないんだけど。

(山名豊国の霊廟)


21.「藤堂高虎公ゆかりの郷」の木碑跡・・・兵庫県養父市大屋町加保。羽柴秀長に仕えていた藤堂高虎は但馬制圧に向かい毛利側と激しい戦いを繰り広げている。そしてその戦いが縁で一色修理大夫の娘と婚姻しこの辺りで新婚生活を送ったという。木碑があったが数年前に朽ちて撤去された。新しい碑が建てられる予定がある。

(ご覧の通り)


 これにて史跡巡りは終了。普通に中国自動車道に出て帰ろうと思ったが、日本海ルートでもそう時間に大差がないとカーナビが言うので、高速代も安いし渋滞も少なそうなそちらを選んだ。ということで福知山まで出て無料の高速道路で小浜に行き、山越えをして木之本から高速道路に乗って帰った。
本日の感想:但馬地方はどこから行っても遠い・・・。とにかくあの雨の中、何事もなく帰り着いて良かった。

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