2014年広島県史跡巡り(2日目その4:湯原弥二郎腹切岩・尼子氏家臣の墓)

・池の内古戦場(湯原弥二郎腹切岩)・・・広島県安芸高田市甲田町上小原。1540年、尼子晴久が吉田方面に攻め込んだ際、尼子氏の家臣・湯原宗綱も坂・豊島方面に侵攻した。しかし大内軍と尼子軍に挟み撃ちにされ自害している。

(この岩の上で宗綱が自害したと伝わる)

(近くに建っていた八幡大神宮。納められている大きな男根を見ると夫婦和合に励み子宝に恵まれるという。荒れ果てていた)

感想:次の目的地に向かっていた時に、たまたま見つけました。


・旧円明寺跡(尼子氏家臣の墓)・・・広島県安芸高田市向原町長田。1566年、毛利元就に降伏した尼子義久・倫久・秀久の三兄弟は安芸の円明寺に幽閉される。23年後、三兄弟は軟禁が解かれ広島市白木町に移された。関ヶ原の戦い後に毛利氏が防長に減封されると、山口県阿武町に移っている。
 現在、円明寺の伽藍は残っておらず、尼子氏家臣のものだと推測される墓のみが残っている。

(このような石標があるため迷うことはない)

(円明寺跡)

(尼子氏家臣の墓)

(尼子三兄弟之墓、と刻んであるが、三人とも防長に移封後亡くなっているため、家臣の墓だと言われている)

感想:行けるだろうと思って車で入った道が行き止まりな上に急な坂道でバックで戻ることになり泣きそうでした。
 広島に住んでいた頃、帰省の途上で看板を何度か見たことがあったのですが、行くのは初めてでした。


 ここで雨が激しくなってきたため史跡巡りは終了。家に帰りました。
本日の感想:雨が降ると思いコンパクトカメラのみを持って行きましたが、昼まで降らなかったので一眼レフを持って行けば良かったです。

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