龍徳寺(池田恒興・元助父子の墓)

住所:岐阜県揖斐郡池田町本郷1341-1

 臨済宗妙心寺派。弘仁年中(810~24年)、最澄が創建した雲門寺が始まりと伝わる。朝廷の祈願所だったが、地方の争乱で衰退していった。しかし池田庄出身の北面の武士・池田蔵人教依が当地に下向し地域の安定と発展に尽くすと郷司の役職を与えられたため、当寺を菩提寺と定め再興する。その後、兵火で焼失するが、本郷城主・国枝為助が再興。臨済宗に変え寺名も龍徳寺に改めた。
 関ヶ原の戦いでは国枝氏が西軍に味方したため、池田輝政や福島正則の禁制を出したにも関わらず兵火に遭い焼失してしまう。その後、徳川家康、大垣城主・戸田氏、因幡と備前を治めた池田氏、豊後臼杵の稲葉氏から保護を受けた。

(入り口。当時は立派な山門があったのだろうか。境内にあるヤマハ音楽教室への送り迎えの車が頻繁に出入りしていました)

(鐘楼)

(本堂。左側に見える建物がヤマハ音楽教室)

(国枝為助一族の墓。中央の大きな五輪塔が国枝為助の墓)

(池田恒興・元助父子の墓の入り口。境内には無く、龍徳寺から国道417号線を渡って北西に100メートル程行ったところに建つ)

(池田恒興の墓)

(池田元助の墓)

(片桐興三郎・吉田甚内ら長久手の戦いで戦死した池田家家臣の墓及び供養塔)

感想:お寺の方によると池田恒興・元助父子の墓はたまにお参りに来る方がおられるそうです。「織田信長みたいに有名じゃないから」と言われていましたが、池田恒興はメジャー武将だと思いますよ。一般の方には知られていないかもしれないですが、そもそもそういう方はお墓に参ったりしないし・・・。


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