岐阜城(若き日の織田信長像)

住所:岐阜県岐阜市天主閣18

 標高329メートルにある城。二階堂行政が築城したと言われている(その時の呼称は稲葉山城)。戦国時代は斎藤氏の居城として知られる。
 しかし3代目の龍興の時代、織田信長によって稲葉山城を追われ、信長の居城となる。この時、信長は沢彦和尚の進言で中国の故事にならい「岐阜」と改名した。信長が安土城を建てそちらに移ると嫡男の信忠が城主となる。信忠が本能寺の変で死ぬと、信長の三男・信孝が城主となるが羽柴秀吉に敗れ切腹した。
 その後、池田氏・豊臣氏が城主となるが、最終的には信忠の息子・秀信の居城となる。しかし秀信が関ヶ原の戦いで西軍に属したため、東軍の猛攻撃を受け落城してしまう。翌年に木材・石垣などが加納城へ移され廃城となった。
 1910年に模擬天守が建つが1943年に焼失。その後、1956年に再建された。

(岐阜公園に建つ若き日の織田信長像(移転前))

(岐阜公園入り口)

(山内一豊と千代 婚礼の地)

(織田信長居館跡に建つ冠木門)

(岐阜城攻防戦の戦死者を供養するために建てられた題目塚)

(本丸井戸)

(千成瓢箪発祥の地)

(岐阜城天守閣)

(天守閣から見た岐阜市内)

(天守閣から見た夜の岐阜市内)

感想:2回目に行った際、登山道を行ったのですが、辛いのなんの・・・。一番早く辿り着ける代わりに、もっともきつい道を行ったのもあるんでしょうが、体力の無さを痛感しました。


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