住所:岐阜県高山市若達町1丁目86
曹洞宗。飛騨三十三観音霊場第三番札所。720年、当地に妙観寺として創建されたが衰退する。しかし1395年に竹窓智厳が雲龍寺に寺号を変え再建した。16世紀末、高山城主・金森長近が、本能寺の変で討ち死にした長男・長則の菩提寺とし伽藍を修築している。
(鐘楼門。1695年に高山城が廃城となった際、黄雲閣を移築したもの)
(津野滄洲の墓。1718年の生まれで詩歌・俳諧・書画などをたしなんだ文化人だった。蚕糸業の振興にも尽力し苗字帯刀を許されている)
(森宗弘の墓。宗弘は1811年の生まれで『ドナチ彗星出現見取図』などの科学的な記録を残した)
感想:ここに長則のお墓はありません。