丸岡城(霞ヶ城)

住所:福井県坂井市丸岡町霞町1-59

 丸岡城は1576年に柴田勝豊が築いたのが最初と伝わる。その後、城主は安井氏・青山氏を経て、1613年に本多氏が城主となった。しかし本多氏が四代で改易となったため、有馬氏が越後糸魚川から入り明治維新を迎えている。
 天守は維新後も残り国宝となったが、昭和23年の福井地震で倒壊してしまう。そこで昭和30年に約80%の古材を使って再建され重要文化財に指定された。現在、城は桜の名所として、丸岡町は本多作左衛門の有名な手紙『一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ』のおせん(本多成重)が城主だったことから、一筆啓上の街として有名である。

(城の鎮守社として建てられた八幡神社)

(天守)

(柴田勝豊が築城の際に人柱としたお静の慰霊碑。お静は息子を侍に取り立ててもらう約束で人柱となったが勝豊が移封されたため約束が守られなかった。そのため藻刈りの時期に雨が降るようになったため、住民はお静の祟りだと考え墓を建てて霊を慰めた)

(石製のシャチ。1948年の福井大震災で棟から落下し、それから天守の入り口に置かれている)

(天守その2)

(天守内部は撮影可能)

(現存天守のため階段は非常に急。一階で登るのを諦める観光客もいた)

(天守の最上階より西側を望む)

(龍神を祀る祠)

(一向一揆に襲われた際、この井戸から大蛇が現れ霞みをかけて城を救ったという伝承がある。そのため丸岡城は別名・霞ヶ城と呼ばれる)

感想:城の駐車場から天守に向かう道には『一筆啓上賞』を取った作品の数々が展示してありなかなか面白かったです。

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