住所:福井市大手3
1600年、結城秀康が越前67万石の大名となり北庄城に入ると大改修を行なう。本丸と二の丸の縄張りは父・徳川家康が行なったと言われる(三の丸は家臣の吉田好寛)。1606年には四層の天守が完成している。
当時、名前はそのまま北庄であったが、松平忠昌が北庄の北が敗北に通じるとして福居(のちに福井)に改称した。1669年、天守閣は大火で焼け落ちてしまい、その後再建されなかった。1871年、廃藩置県で建物と外塀が破却され堀も埋められてしまい、城下町の名残を残していた福井市内も1945年の空襲と1948年の福井地震で失われてしまう。
現在、本丸跡には県庁や警察本部などが建っている。
(藩主が本丸と西三の丸御座所を往復するために架けられた御廊下橋。2008年に屋根が復元された。今は藩主ではなく学生などが通り抜けに使っている)
(天守台櫓台跡。天守は約28メートル、天守台は約9メートルの高さがあった)
(県庁の南に建つ結城秀康の像。2002年に建てられたようだ)
(1943年に建てられた最後の別格官幣社・福井神社の鳥居。松平春嶽を祀る)
感想:福井城は堀や石垣がよく残っており想像していたよりも見所が多かったです。これで県庁がなくて公園にでもなっていれば良かったような気がしますが・・・。
ちなみに晴れている時の写真は2004年のもの、雨が降っている時の写真は2012年のものです。