四国一周史跡巡り(4日目:湯築城・伊予松前城・大洲城・清良神社)

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 平成20年4月29日、今日も8時頃に出発。昨日の夜はまだまだ元気だ、なんて思っていたけど、朝起きるとさすが疲れを感じてきた。
29:湯築城・・・愛媛県松山市道後公園にある。伊予の戦国大名・河野氏の本拠地。河野氏は長宗我部氏と伊予の支配をめぐって対立したが、1585年についに降伏。しかし同年に四国征伐があって、河野氏は小早川隆景に攻められ開城し城を去った。その後、隆景や福島正則が一時、利用したが、1588年に廃城となっている。
 土塁などの遺構が残っており、整備も行き届いている。資料館もあったが、開館前に訪れたために、見ることが出来なかった。次に来たときに入ってみよう。隣に道後温泉があるから、また来ることもあるだろうし。

30:荏原城(えばらじょう)・・・愛媛県松山市恵原町にある。河野氏の重臣・平岡氏の居城。四国征伐で河野氏が改易となったため、平岡氏は毛利氏の家臣となり、城は廃城となった。
 周りに水堀などが残っており、城があったことをうかがわせる。小規模な城なので写真をさっと撮影して終了。

31:伊予松前城(まさきじょう)・・・愛媛県伊予郡松前町筒井の東レ愛媛工場の正門の道を挟んで向かい側にある。南北朝時代に築かれた城で、城主が度々変わり、文禄・慶長の役の最中に加藤嘉明が城主となる。1603年に嘉明が松山城を築城しそちらに移ったため、廃城となった。
 塙団右衛門のことが書いてある案内板があったので、何かと思って読んでみると、団右衛門が嘉明と喧嘩をして城を去るときに、城門に『遂に江南の野水に留まらず、高く飛ぶ天地一閑鴎(野水を見限った鴎は天高く飛ぶという意味)』という詩を張りつけていった、という逸話がこの城で行われた、とのことだった。そっか・・・。ここだったのか。
 車を停めるところが無かったので、東レの方に頼んで工場の駐車場に停めさせてもらいました。ありがとうございましたm(._.)m

32:大洲城・・・愛媛県大洲市大洲にある。南北朝時代に築かれた。宇都宮氏の城だったが、戦国・江戸時代初期にめまぐるしく城主が変わり、最終的には加藤貞泰が城主となり、明治維新を迎えた。2004年に復元された天守、現存する南隅櫓などがある。
 天守閣は良い形で復元されており、雰囲気が良い。しかし今日も暑いなあ・・・。

33:曹渓院・・・愛媛県大洲市大洲にある。大洲城主・加藤家の菩提寺。岐阜県の黒野、鳥取県の米子、と貞泰と移封と共に移動し、最終的にここ大洲市に落ち着いた。
 お墓の前の門が閉まっていたので、お寺の方に許可をいただいて開けていただいた。

34:法華寺・・・愛媛県大洲市西大洲甲にある。ここには大友氏・長宗我部氏・豊臣氏に翻弄されて最期は秀吉の家臣・戸田勝隆に殺された西園寺公広の墓があった。しかし戦後になって西予市宇和町の光教寺に移されている。
 曹渓院のすぐそばなので行ってみた。お墓跡までご案内してくださったお寺の方、ありがとうございましたm(._.)m
(跡地。周りのお墓は家臣のものでしょう、とのお話だった)

35:臥龍山荘・・・愛媛県大洲市大洲にある。庭が見事なことで有名・・・なのは、どうでもよく、ここは藤堂高虎の家臣・渡辺勘兵衛の屋敷跡と聞いて寄ってみた。
 受付の女性の方が非常に詳しく臥龍山荘について説明してくださり、この近くには今でも「勘兵衛」と呼ばれる地区があるとのこと。
 ちなみに大洲城・曹渓院・法華寺・臥龍山荘はまとまって存在しており、歩いても行ける(私は無駄に一回一回車で移動したけど)。

36:光教寺・・・愛媛県西予市宇和町卯之町にある。34の法華寺から移された西園寺公広の墓がある。移された理由は西園寺氏の居城が宇和町にあるのと光教寺が西園寺氏の祈願寺だった関係らしい。
 西園寺公広の墓は丁寧に祀られていた。近くに黒瀬城があって撮影しようと思ったが、場所がどこか分からなかったので諦めた。
(西園寺公広の墓)

(光教寺のある中町の風景)

37:大森城・・・宇和島市三間町小沢川にある。土居清良の居城。清良は伊予侵略を狙う長宗我部軍と戦い、複数に渡る攻撃を耐え見事撃退した名将。四国を支配した長宗我部元親も清良の領地には手を出せなかった。四国征伐後は隠居し、藤堂高虎の誘いを断って領民と共に暮らした。
 大森城の場所を近所の方に聞いたところ、「最近、登る人間はいない。道も分からなくなっており危険だ」と注意された。もともと行く気はなかったので、場所だけ確認して遠くから写真を撮って終わった。

38:清良神社(せいりょうじんじゃ)・・・愛媛県宇和島市三間町土居中にある。名前の通り、清良を祀る神社。

39:竜泉寺・・・愛媛県宇和島市三間町土居中。清良神社の隣にあり、土居清良の霊廟がある。
 近くでフキを獲られていた方の話によると、最近、霊廟がすべて寄付で350万円かけて立て直されたそうだ。そんなに都会でもないのにそれだけの寄付が集まると言うことは、今でも尊敬されているんだな・・・。

 これで史跡巡りを終えて宇和島市内のホテルに行こうと思ったが、まだ少しだけ余裕があったので、明日行くつもりだった宇和島市内の史跡も行っておくことにした。
40:和霊神社・・・愛媛県宇和島市和霊町にある。ここは伊達秀宗の家臣・山家(やんべ)清兵衛を祀る神社(山家清兵衛についての詳しい内容は伊達秀宗の項をご覧ください)。
 ここはとにかく敷地が広く立派な神社で驚いた。怒りを鎮めるための神社というので、よく街の一角にある神社を想像していたのに。社務所で神社が立派な理由を聞くと「秀宗が清兵衛を非常に恐れたのと、領民から慕われていたため」とのこと。
 ここにあった観光案内マップを見た際、長宗我部元親が戸次川の戦いで負けた際に撤退した場所である日振島や、一条兼定の墓がある戸島などに宇和島港からフェリーで行けることを知った(二ヶ所とも一応、宇和島市になる)。しかし半日は拘束されちゃうから時間的に無理。また宇和島に来た際に寄ってみよう・・・(っていつのことやら)。

41:等覚寺・・・宇和島市野川甲にある。宇和島藩主の菩提寺で秀宗や秀宗の母の墓などがある。
 藩主の菩提寺なだけあって歴史的な重みを感じさせるお寺だった。

42:大隆寺・・・愛媛県宇和島市宇和津町にある。ここにも宇和島藩主や一族の墓がある。この寺の横には和霊神社に祀られている山家清兵衛の霊廟もある。
 ここは等覚寺と比べると暗い雰囲気がした。周りに林があるためだろうか・・・。山家清兵衛の霊廟は近寄りがたい雰囲気があった。

 これで今日の史跡巡りはお仕舞い。そのまま宇和島駅前のホテルに行ってゆっくりした後、寝た。
感想:今日は結構な数の史跡を廻った。宇和島と松山って結構離れているんだな・・・。疲労はこの日がピークだった。平地を歩くだけで息が乱れるし。まあもともと無理な旅行なんだから仕方がないけど。
 でも、いよいよ明日からはメインの高知県。長宗我部関係の史跡に触れれば、きっと気力もアップして疲労も吹っ飛ぶだろう。楽しみだなあo(^ー^)o

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4 thoughts on “四国一周史跡巡り(4日目:湯築城・伊予松前城・大洲城・清良神社)

  1. 「どい、なか」ですから。続けて読んではいけません><

    柳葉さんは団右衛門さんが好きそうですから、いつか機会があって行けるといいですね^^
    ただ何にも残っていないですTT

    東レ工場のみなさんは毎日見ていると思いますが、何なのか分かっていない方も多いかも・・・。地元の史跡なんて「ああ、なんかあるなあ」程度の方が結構おられますから。

  2. ・・・本当に調べてみました、日本郵便・・(ーー;)
    半信半疑でしたが、本当にそう読むんですね。ビックリです。

    団右衛門の逸話が残る場所・・、こことは知りませんでした(^^;)東レ工場のみなさんは毎日この城跡を見れるのかあ・・・。
    私も好きな時代なので、行ってみたい史跡ですね(^^)/

  3. 塙団右衛門や渡辺勘兵衛なんてのは、戦国後期~江戸初期くらいが好きな人間にはたまらないですよ!(私はもちろんど真ん中ですが^^)。

    調べましたよ(ってほどでもないですが)。土居中の読み方。
    答えは下記のアドレスにアクセスして確認してください。日本郵便が言うんだから間違いないと思います。
    http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=38&city=1384821&addr=%E4%B8%89%E9%96%93%E7%94%BA%E5%9C%9F%E5%B1%85%E4%B8%AD

  4. 塙団右衛門が詩を張りつけていったお城とか渡辺勘兵衛の屋敷跡とか、戦国好きには堪らないですね!

    ところで、土居中は「どいなか」と読むんでしょうか?
    だとしたら、なんか自虐っぽいですね(笑)。

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