高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(8日目後半:三滝城・黒瀬城・法華津本城)

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26.三滝城・・・西予市城川町窪野。北之川氏の居城。当主・親安は長宗我部氏に降り、波川玄蕃(元親の妹婿)の娘婿となる。波川玄蕃の謀叛計画が発覚し自害させられると、親安も攻められ三滝城は落城した。落城時期については諸説ある。親安が自害した大いちょう、親安の霊廟などがある。
感想:場所が分からなくてうろうろうろうろしていた。ここでも地元の方に助けられた。道を聞いている最中に「あっちの高知県方面に・・・」という台詞を聞いて、ああ、ここも高知から近いんだなあ、と感じた(地図見れば一目瞭然なんだけど)。

(北之川親安の霊廟。妻と長男・正親が合祀してあり、奥の墓碑には3人の戒名が刻んである)

(本丸跡)


27.安楽寺・・・西予市野村町野村3ー286。泉貨居士の墓がある。泉貨居士は西園寺氏の家臣だったが、主家が没落すると仏門に入り生活のため楮(こうぞ)に山芋の根汁を混ぜた丈夫な和紙を発明。和紙は泉貨紙と呼ばれ重宝された。

(泉貨居士の墓。墓地の端にひっそりとあった)

28.明石寺・・・西予市宇和町明石201。四国八十八ヶ所四十三番札所。西園寺実充の娘が嫁いでいる。
感想:本日、初めての人がいる史跡(?)だ。

(山門)


29.黒瀬城・・・西予市宇和町卯之町。西園寺氏の居城。長く黒瀬城の北にあった松葉城を居城としていたが、豊後の大友氏・土佐の一条氏と敵対するようになると南側の守りの堅い当城を築城した。松葉城が水源に乏しく長期の籠城に耐えられないのも理由の一つだった。
 しばらくは他国からの侵略に抵抗していたが、1584年、長宗我部氏の攻撃に耐えかねて降伏した。四国征伐後も在城していたが、1587年に新しく領主となった戸田氏の命令で城を去り廃城。井戸・曲輪などが残っている。
感想:無造作に置かれている看板はもうちょっと何とかならんもんだろうか・・・。

(三の郭)

(哀愁を誘う本丸の文字)

(黒瀬城より宇和町内を望む)


30.鳥坂城・・・西予市宇和町久保。1567~1568年にかけて、河野・毛利連合軍と宇都宮・一条連合軍が激突した鳥坂合戦の舞台となった場所。この戦いで敗北を喫した一条氏は長宗我部氏の勢力拡大と重なり滅亡へと向かうことになる。
感想:本丸らしきところに行ったが、行くまでの道がとんでもないところだった。はっきり言うと道がなかったため、木に捕まりながら登った。帰りも大変で最後の方は足を使って降りるのが危険なので滑り落ちた。
 城の全景だけ撮って次に行けば良かったよ・・・。

(こういうところを登って行きました)

(本丸全景)


31.法華津本城・・・宇和島市吉田町法花津。西園寺氏の家臣・法華津氏の居城。法華津氏は西園寺家中で唯一水軍を持つ武将で、しばしば伊予に侵攻する豊後の大友軍と激戦を繰り広げている。本拠地だった玉津港はコの字型になっており素人目に見ても良港なのが分かる。1583年、長宗我部氏に降伏。1587年に主君・西園寺氏と同じく下城させられている。
感想:場所を確認してさっと帰ろうかな、と思って近所の方に話しかけたら、よく分からない間に他人様の家でお茶を頂いて、法華津氏の菩提寺まで連れて行ってもらいました。そこで住職さんと近所の方にじっくりとお話を聴かせていただき、法華津氏(清家氏)のお墓まで案内していただきました。
 玉津地区の皆様、本当にありがとうございました!

(法華津本城)

(玉津港)


 今日はもう一ヶ所行きたかったんだけど時間切れ。明日にしよう。
本日の感想:四国はどこに行っても皆さん親切。お茶・お菓子をよくいただく。道も丁寧に教えていただけるし、いつも助かってます!
 土佐との国境沿いの城はどれも山深い場所にあり、城の作りも堅固そう。他の要素もあったが、伊予戦線で苦戦したのも分かる気がする。

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