高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(8日目前半:河後森城・渡辺教忠の墓碑)

Pocket

 5月29日(土)、じゃこ天食って宇和島市のホテルを出発。宇和島新内港駅に行く。ここから宇和海諸島を廻って日振島に渡る。というか正確には上陸せずに見に行くだけ。上陸しても何かあるわけじゃないので・・・。

(高速艇)

 6時半になったので出発!

(天気も良く眺めもいいなあ)

(一条兼定が晩年を過ごした戸島)

 ここら辺から何かがおかしいことに気がつく。良く見るとこの船って戸島までしか行かない便だがな!
 日振島に行けないことと自分のアホさ加減に滅茶苦茶落ち込む。しかしせっかく来たのに落ち込んでいてももったいないので気持ちを切り替えて何が何でも楽しむことにした。

(戸島と四国本土の間にある蒋淵・・・だと思う)

(本土に戻ってきました)

(右に見える山が宇和島城)


 次に日振島に行く便は11時半。そんなに待っている余裕はないので仕方なく次の目的地に行く。宇和海諸島の雰囲気は分かったし、きっと元親が撤退した場所も通っただろうTT

24.河後森(かごもり)城・・・北宇和郡松野町松丸。「かごのもり」とも読む。渡辺(河原淵)氏の居城。土佐との国境近くに築かれた要衝だったため、南予屈指の大城郭だった。天守もあったと言われている。
 土塁・曲輪・天守跡などが残っており良好に整備されている。
感想:私のような城郭に詳しくない人間には分かりやすく見応えのある城だと思う。蜂が多いのにはまいったが時期的に仕方があるまい。

(本郭の本丸跡)

(本郭の主殿舎跡)


25.照源寺・・・北宇和郡松野町大字富岡3025。河後森城主だった渡辺教忠墓碑・中世の戦乱に散った将兵の霊を鎮めるために建立された観音像・渡邊教忠生誕300年祭碑・渡辺教忠掟書などがある。
 渡辺教忠は一条氏から養子に来ていた関係で西園寺氏と一条氏が戦った際は日和見をしている。しかし土佐の支配者となった長宗我部氏が攻めてくると西園寺氏の配下として抵抗。だが1580年頃、元親と内通した重臣・芝氏によって追放された。

(渡辺教忠の墓碑。山門右の道を進むとある)

(観音像)




写真の提供についてはこちらをクリック




Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA