下総佐倉城(土井利勝の居城)

住所:千葉県佐倉市城内町

 千葉氏の一族・鹿島氏が天文年間(1532~1555年)に鹿島城を築いたのが始まり(ただし未完成で終わっている)。1610年、土井利勝が当地に移封されると鹿島城跡に7年の歳月をかけて城を完成させ、佐倉と改名している。その後、城主は形原松平氏・大給松平氏・大久保氏など何度も替わるが、1746年に入った堀田氏が明治維新を迎えている。
 鹿島川と高崎川に囲まれた鹿島山に本丸が置かれ、その周辺を二の丸が囲み、東に三の丸、北に総曲輪がある。本丸には三重四階の天守があったが1813年に焼失した。
 現在は佐倉城趾公園として整備されている。

(大手門跡)

(三の丸の端に建つ佐倉兵営跡の記念碑。佐倉連隊は太平洋戦争のレイテ島の戦いで多数の犠牲者を出している)

(三の門跡近くにある空堀。サッカー出来ちゃうくらい広い)

(ハリスの像。頭の上に写っているのは木です。当たり前ですけど、ちょんまげではありません)

(佐倉城主・堀田正睦の像)

(本丸の土塁)

(本丸と夕陽)

感想:家に戻ってから調べたら他にもたくさんの遺構があったようですが、時間と体力が無かったため断念しました…。


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