阿川毛利家墓所(下関市豊北町)

●阿川毛利家墓所(下関市豊北町)
住所:山口県下関市豊北町阿川
駐車場:なし

 吉川元春の次男・元氏を祖とし長州藩の一門家老だった阿川毛利家の墓所である。ただし5代目までは別の場所に葬られたため、6代目からである。

(入口)
入口

(墓に向かう途中にある郷校・時習館址の碑。郷校とは地方の私学校で宝暦3(1753)年に毛利広漢が建てた。この近くに阿川毛利館跡があるのだが見つけられなかった)
時習館址の碑

(墓所の様子。誰の墓か標柱があり確認しやすい)
墓所の様子

墓所の様子

墓所の様子

(墓所から阿川浦がよく見える)
阿川浦

参考文献:山口県の地名、豊北町史2、現地の案内板

感想:自分が参拝した後の2023年に萩に葬られていた毛利親彦の墓もここに移転されたそうです。



万松山正護寺(陶氏館跡)

●万松山正護寺(陶氏館跡)
住所:山口県山口市陶郷上3907
駐車場:境内に駐車可?

 臨済宗東福寺派。延文年間(1356~61年)、当地を治めていた陶弘政が居館のそばに祈願所として創建した。その時は曹洞宗で、陶氏や大内氏の庇護もあり栄えたが厳島の戦い後に毛利元就が両氏を滅ぼすと衰微する。のちに毛利氏が再興したが永禄12(1569)年の大内輝弘の乱で兵火により焼失。しばらく再建されなかったが、江戸時代初期に地元出身の大円恵満が移転し現在地に再建した。
 陶氏は大内氏の庶流で当地を領して居館を構え陶氏を称した。その後、陶氏は周南市富田に拠点を移している。

(山門。小郡代官所の正門を移築したもの)
山門

山門

(本堂。前は塀で囲われていたのか?)
本堂

本堂

(陶氏の二代目・弘政の墓(中央))
弘政の墓

(陶晴賢の墓)
陶晴賢の墓

(陶晴賢250回忌に建てられた供養塚)
供養塚

(寺の前にある陶氏居館跡)
陶氏居館跡

陶氏居館跡

陶氏居館跡

感想:居館の遺構はないと思っていたが、後で調べたら土塁があったらしい。無念・・・。



二宮就辰の墓(山口県防府市)

●二宮就辰の墓
住所:山口県防府市伊佐江
駐車場:なし

 二宮春久の息子(毛利元就の落胤説あり)で毛利家に仕えた二宮就辰の墓。共同墓地の一角にある。
二宮就辰の墓

二宮就辰の墓

二宮就辰の墓

感想:ネットで検索すると前は領地だった門田の森と呼ばれる場所にあったそうですが、南西にある自衛隊の基地建設に際して移転されたようです。森の名前は息子の元経が門田姓を名乗ったことから来ているそうです。