笹野観音堂(長命山幸徳院笹野寺)

住所:山形県米沢市笹野本町5685-5

 真言宗。置賜三十三観音霊場第十九番札所。坂上田村磨呂が笹野山の中腹に観音堂と羽黒大権現を祀る神社を建てたのが始まり。806年、現在の地に本堂が建立される。戦国時代には伊達政宗が野始めの際に訪れていた。上杉家の領地となると初代景勝・二代定勝・三代綱勝・四代綱憲・九代治憲・十二代斉憲の時代に修築・再建が行われている。

(仁王門)

(千体地蔵堂。本尊の「いびた地蔵」は中風封じのご利益があることで知られている)

(1843年に再建された社殿様式の笹野観音堂)

(笹野観音堂の彫り物)

(1832年に豪商・渡辺伊右衛門が建立した延命地蔵菩薩石仏)

(みちびき観音)

(弘法大師堂)

感想:観音堂の茅葺きの屋根が歴史を感じさせてくれました。




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米沢城三の丸土居

住所:山形県米沢市中央4丁目

 1608年、直江兼続の指揮で米沢城の三の丸が造営された。内部には家臣団の屋敷が建てられている。土居はその遺構の一部である。

(土居。五穀稲荷神社が建っていた)

(土居の碑らしい。建てた目的が良く分からなかったが…)

感想:五穀稲荷神社から公園に降りるための滑り台があったのが気になりました。




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米沢城(上杉神社)

住所:山形県米沢市丸の内1-4-13

 別名、松岬城・舞鶴城。1238年、大江(長井)時広が城館を築いたのが始まりと伝わる。その後、伊達氏が城を支配した。米沢が奥羽を押さえる要衝の地だったため、1548年に伊達晴宗が当城に居城を移す。以後、輝宗・政宗と三代50年間に渡って伊達氏の居城となる。1591年、政宗が陸奥の岩出山に移されると、会津に入った蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が城主となった。
 1598年、会津に上杉景勝が120万石で移封されると家臣の直江兼続が城主となる。しかし関ヶ原の戦いで上杉家は30万石に減封され米沢に居城を移した。景勝と兼続は城下町の整備に力を注ぎ、現在の米沢市の基礎を築く。
 明治維新後は建物が取り壊され松が岬公園となる。城址には宝物館の稽照殿や伝国の杜などが建つ。

(濠)

(上杉謙信祠堂跡。祠堂とは死者の霊を祀る所や位牌を祀る堂のこと。江戸時代は謙信の遺骸があったが、1876年に上杉家墓所に移された)

(2007年時点の伊達政宗生誕之地の標柱)

(2013年に再訪したら碑に変わっていた。そして「伊達政宗生誕之地」から「伊達政宗公生誕の地」と微妙に変わっていた)

(2011年に建てられた上杉景勝と直江兼続の像)

(上杉鷹山の像)

(鷹山、兼続、竹俣当綱などを祀る松岬神社)

(上杉謙信の像)

(上杉謙信を祀る上杉神社)

感想:一度目の2007年に公共交通機関で行った時はまさか車で再訪することになるとは思いませんでした。




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