和歌山城

住所:和歌山市一番丁3番地

 標高48メートルの虎伏山にある城。別名・虎伏城。1585年、豊臣秀吉が紀州征伐後に吹上ノ里と言われた土地に建てたのが始まりだと言われている。この築城には藤堂高虎らが奉行を勤めた。城主を秀吉の弟・豊臣秀長が務め、秀長が移封された後は家臣の桑山重晴が城代を務める。
 関ヶ原の戦い後は浅野幸長が城主となり、幸長没後は弟・長晟が継いだ。1615年の大坂夏の陣では浅野軍主力が不在中に攻め込まれたが留守隊で撃退している。1619年に浅野家は安芸広島城に移封されると、徳川家康の十男・徳川頼宣が入った。頼宣は城の大増築をしたが、これが幕府に謀反の疑いをかけられたため途中で中止している。その後、和歌山城は明治維新まで紀州徳川家の城となった。
 1846年に雷で天守などが消失したが1850年に再建される。しかし1945年7月の和歌山市内の空襲で天守閣などが焼失。1958年に天守閣が復元され現在は公園として市民に親しまれている。

(和歌山城全景)

(大手門)

(石垣)

(天守)

(重要文化財・岡口門)


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高野山・九度山巡り2010(2日目:高野山奥の院)

 2010年3月22日(月)、朝6時に起床。6時半から宿坊で勤行(ごんぎょう。仏前で時を定めて読経、礼拝、焼香などをする儀式をいう。おつとめ)を体験。お坊さんのお経を大人しく聞いて焼香した。
 朝食を済ますと奥の院へ。ここからは理屈は入らない。写真の数々をご覧下さい(大坂の陣絵巻でも結構載せているけど、そこは大目に見てください)。

(筑後柳川立花家)

(筑前黒田家。他にも三ヶ所くらいあった)

(森忠政。森兄弟の中では地味だけど家を守った立派な人なんだよ)

(佐竹義重逆修塔。というか逆修霊廟?佐竹家墓所の後ろにあって分かりづらい)

(河野通直と母)

(讃岐丸亀京極家。右に立派な五輪塔があってどっちなのか分からなかったが私はこっちが京極家だと思った)

(赤井直正)

(上杉景勝供養塔。左隣の霊廟が本墓でこっちは供養塔だと思う。入り口で買ったパンフレットでも左隣の謙信の霊廟と一緒になっていたし)

(津軽家墓所)

(香宗我部親泰供養塔。中央にある宝篋印塔。伊勢津藤堂家墓所の中に混じっている。ここでも仲のいい長宗我部さんと藤堂さん)

(三春秋田家)

(結城秀康)

(織田信長と筒井順慶)

(福助株式会社)

(新明和工業株式会社)

 本当はもっと廻ったけどまあこんなところで・・・。結局奥の院には4時間くらいいたのかなあ。それでも行きたいところ全部は廻りきれなかった。
 食事やお土産を買ってしてゆっくりすると下山した。亀山で渋滞に巻き込まれるなど帰りも大変だったけど充実した旅だった。

今回の史跡巡りの感想:4年半前とは違って今回は強力な手ぶれ補正のついているデジタル一眼レフのおかげで薄暗くても手ぶれには悩まされなかった。とは言っても忙しく動き回っていたため、手ぶれやピンぼけがいくつかあったけど。
 やっぱり高野山はいいのう・・・。寒さも吹っ飛ぶくらいの場所だった。また行きたい。
 高野山に行こうと思っている皆さん。冬は防寒、夏は蚊対策をして行ってね。両方とも半端じゃないから。

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高野山・九度山巡り2010(1日目:九度山・吉野)

 2010年3月21日(日)、祝日を利用して高野山に行くことにした。行くのは4年半ぶりかあ・・・。
 名阪国道を使って天理の辺りまで出ようと思っていたが道の駅みたいなところで方向を間違えてなぜかそのまま和歌山方面に向かってしまった><
 途中で後醍醐天皇を祀る吉野神宮を見つけたので寄ってみるo(^-^)o 広い、とにかく広かった。

(鳥居)

(本殿)

 さてさて4時間以上かけて九度山に到着。最近出来たらしい駐車場に駐めて九度山を散策。

1.真田庵・・・和歌山県伊都郡九度山町九度山1413番地にある。関ヶ原の戦いに負けた真田幸村親子が蟄居した場所。
感想:いつ来ても人がいない寂しい場所という印象があったが昨今のブームの影響なのかお彼岸ということもあってか人で溢れかえっていた。

(真田地主大権現。真田三代を祀っている。家康と同じ権現様なのかあ・・・)

(真田昌幸の墓)

2.慈尊院・・・伊都郡九度山町慈尊院832にある。弘法大師が高野山を開いた後、大師の母が息子の開いている山を見たいと讃岐から訪れここに滞在した。
感想:餅巻きに人が殺到していた。みんな元気だなあ・・・。

(本堂・・・は後ろの修復中の建物かなあ)

(餅巻きの風景)

3.丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)・・・慈尊院に隣接している。世界遺産。高野山町石道の登山口となっている。
感想:119段の石段は運動不足の足にきた。

(鳥居)

(狩場明神と弘法大師の出会いの図)

4.真田古墳・・・住所が分からない。真田庵と九度山駅の間にある。例によって真田の抜け穴伝説の場所。
感想:綺麗に整備されていた。前は何が何だか良く分からない状態だった。

 こんな感じで九度山は終わり。いよいよ高野山である。前回はロープウェーだったが今回は車での登頂に挑戦。歩くよりは遙かに楽だけど、それでもカーブの連続する坂を10数キロも運転するのはきつい><
 途中、前の車の急ブレーキで事故りそうになりながら何とか高野山に到着。宿坊に泊まって料理を食べて寝た。
今回の史跡巡りの感想:九度山、かなり整備されていたなあ。でも、昼飯に困るのは相変わらずだ。
 高野山は車で行くもんじゃないわ。でも愛知県から公共交通機関で全部行くと遠回りになるので、九度山か橋本まで車で行ってそこからロープウェーの方が賢い選択だったかもしれん。

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