極楽寺(玉田院の墓・長田作左衛門の墓)

住所:東京都八王子市大横町7-1

 浄土宗。1504年、鎮誉即也によって滝山城下に創建された。滝山城主・北条氏照が居城を八王子に移すと当寺も移転されたが小田原征伐の際に兵火で焼失する。その後、八王子周辺の代官となった大久保長安が当地に再建した。
 本尊の阿弥陀如来像は八王子市の有形文化財に指定されている。

(山門)

(本堂)

(墓地の一角に建つ仁科盛信の娘・玉田院(小督)の墓。武田家滅亡の際、武田信玄の四女・松姫と共に八王子に逃れ、長ずると大久保長安の助力で玉田院を建立し住した。墓は玉田院跡にあったが1715年、盛信の子孫・資真が現在地に移している)

(山門から本堂に行く途中の参道脇に建つ長田作左衛門の墓。作左衛門は八王子の町割りを担当したといわれているが否定説もある。写真は1852年に親族が建立した供養塔)

(鐘楼と門)

感想:大久保長安は武田家の関係者に救いの手を差し伸べていたのですね。八王子市に行ってイメージが変わりました。


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大久保石見守長安陣屋跡(産千代稲荷神社)

住所:東京都八王子市小門町82

 1590年、関東に移封された徳川家康は直轄地に代官頭を置いて領国経営を開始。代官頭・大久保長安も八王子に陣屋を構え政務を執った。長安は陣屋を構えるに際して、倉稲魂命を祀った産千代稲荷神社を創建する。
 長安没後に陣屋が無くなると畑地になったが、産千代稲荷神社だけはそのまま放置されたため大木が茂り『稲荷森』と称された。
 現在は周辺は住宅地となり神社も整備されている。

(鳥居)

(大久保石見守長安陣屋跡の碑)

(拝殿。神社の歴史が書いてあるパンフレットが置いてあった)

感想:信松院から500メートルくらいしか離れていないので歩いて行けます。


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信松院(武田信玄の娘・松姫の墓)

住所:東京都八王子市台町3ー18ー28

 曹洞宗。武田家滅亡の際、武田信玄の四女・松姫は難を逃れて八王子に落ち延びる。1588年、松姫は随翁舜悦卜山の弟子となり、1590年に信松院を開基した。
 寺宝の木造軍船のひな形は文禄の役の際に小早川隆景が使用した軍船のひな形と伝わる。

(入り口。三が日に行ったので何かを販売されてた)

(1988年に建立された観音堂と舎利殿)

(鐘)

(茶筌塚)

(武田信玄の四女(六女とも)・松姫の墓。織田信長の嫡男・信忠と婚約したが破談になったのは良く知られている。法名・信松院殿月峰永琴大禅定尼)

感想:ここに甲斐から逃れる松姫の像があったらしいのだが、お墓を探すのに夢中で気がつかなかった…(T_T)


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