阿波 桑野城(栗栖城。東条関之兵衛の居城)

●阿波 桑野城(栗栖城)
住所:徳島県阿南市桑野町岡元116
駐車場:あり
遺構:曲輪、切岸
標高:18メートル/比高:12メートル

 桑野盆地の南端に位置し、戦国時代は山のある南側以外は湿地帯だったようである。築城年代は不明。城主の東条氏の祖は甲斐源氏で阿波の国衆として近畿で戦った。天正3(1575)年、長宗我部元親が阿波に侵攻すると当時の当主・関之兵衛は抵抗したが敗れ従う。その後、関之兵衛は西方城、更に木津城に移った。
 万福寺は真言宗の寺で、慶長2(1597)年に中興されたと伝わる。

(入口。昔の写真を見ると石段だったがバリヤフリーに対応して坂になったようだ)
入口

(不動明王)
不動明王

(六地蔵)
六地蔵

(四国八十八箇所霊場 お砂踏み遍路)
お砂踏み遍路

(七福神の像)
七福神の像

(令和6(2024)年の干支、龍がお出迎え)
龍

(大師堂)
大師堂

(本堂)
本堂

(石塔など)
石塔など

(平成22(2010)年に建てられた芝原城主・久米安芸守義弘の碑。天文21(1552)年、三好之虎が阿波守護・細川持隆を殺害すると旧臣の義弘らが挙兵した。しかし之虎に敗れ義弘は戦死している。これを鑓場合戦(鑓場の義戦、久米の乱)という。というところまでは誰でも知っている話だが、なぜここに碑があるのか分からない。桑野城との関係も不明だし。後裔の方が万福寺の檀家さんなのだろうか)
芝原城主・久米安芸守義弘の碑

(寺の東西が切岸っぽかった)
切岸

(全景)
全景

参考文献:徳島県の地名、日本城郭大系 15、日本城郭全集 第12、阿南市史 第1巻 (原始・古代・中世編)、西方村誌

感想:この城には長宗我部元親に攻撃された際の河童伝説があります。長いので興味のある方は調べて見てください。
 万福寺については詳しく調べていないですが中興ということはどこかから移転されて来たのでしょう。


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阿波 矢野城(三好氏の家臣・矢野駿河守国村の居城)

●阿波 矢野城
住所:徳島県徳島市国府町西矢野
駐車場:なし
遺構:曲輪、横堀、土塁
標高:33メートル/比高:20メートル

 三好氏の家臣・矢野駿河守国村の居城だったと伝わる。天正5(1577)年、三好長治が細川真之に味方する一宮成祐などによって自害に追い込まれると、国村は讃岐の虎丸城から戻って成祐の居城である一宮城を攻撃した。天正7(1579)年、国村は阿波に攻め込んで来た長宗我部元親に味方する三好式部少輔らの謀略によって脇城外の戦いで戦死したという(『三好記』『古城諸将記』『阿波志』)。矢野城は天正10(1582)年に落とされたという。

(県道沿いにある入口の標柱。道が狭いので絶対にここから先は車で行っては駄目)
標柱

(北側から見た全景)
全景

(参道)
参道

(参道途中にある削平地。ここも曲輪だったようだが、かなり削られている)
曲輪

(西から南にかけてある横堀と土塁)
横堀と土塁

横堀と土塁

横堀と土塁

(主郭にある矢野城址碑)
矢野城址碑

(同じく主郭にある室町幕府第十四代将軍擁立碑。矢野国村も擁立に関わったので建てられたようだ。矢野城址碑とこの碑の他にも碑が二つほどあった)
室町幕府第十四代将軍擁立碑

(主郭の一角にある荒神さんなど)
荒神さん

(主郭の結構な部分を占めている城山神社)
城山神社

(主郭)
主郭

主郭

参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館

感想:城近くまで車で行ったら行き止まりな上に道が狭かったですが、何とか県道に戻ることが出来ました。その後、安全な場所に駐めて見学しました。皆さんはGoogleストリートビューなどで道を確認してから史跡巡りに行ってください。
 東側に一段下がった曲輪があったそうですが行っていません。

(概略図)
概略図


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阿波茨ヶ岡城、茨ヶ岡館(和食城、井の原城、岡城。細川真之の居城と居館跡)

●阿波茨ヶ岡城、茨ヶ岡館(和食城、井の原城、岡城)
住所:徳島県那賀郡那賀町和食郷(字 北地)
駐車場:なし
遺構:曲輪、堀切、土塁
標高:105メートル/比高:53メートル

 四国八十八箇所の第二十一番札所・太龍寺の建つ山の南の尾根先端にある。東西と南に中山川が流れており天然の濠になっている。天正4(1576)年、阿波守護・細川持隆の息子だった細川真之は阿波を支配する三好長治から実権を与えられず憤って勝瑞城を抜け出し仁宇谷(旧那賀郡の那賀川上・中流地域)に移る。この時の茨ヶ岡城を築城したと思われる。翌年、長治を撃退し長宗我部元親と通じた真之だったが、天正10(1582)年に所属不明の江村兵衛進、本木新左衛門らに襲われ落城し持隆の遺品だった仁王清綱の脇差で自害したという。

(全景)
全景

(入口)
入口

(城址に着く。単郭で東西に堀切があるだけの簡単な城。写真は西の堀切と主郭への切岸)
西の堀切

西の堀切

西の堀切

(主郭)
主郭

主郭

主郭

(東の堀切)
東の堀切

東の堀切

東の堀切

(主郭の東にあった場所。曲輪のようにも見えるが・・・)
曲輪

曲輪

(茨ヶ岡館。祠と五輪塔、城址碑があった。土塁があるらしいが分からなかった)
茨ヶ岡館

茨ヶ岡館

茨ヶ岡館

参考文献:徳島県の地名、三好一族と阿波の城館、阿波古戦場物語、阿波の城 (徳島郷土双書 1) 、阿南市史 第2巻 (近世編)、日本城郭全集 第12

感想:城の入口が分からず住宅街を彷徨っていたら館跡に出ました。その後、無事に城の入口にも辿り着けました。地元の方とは会いませんでしたが不審者だと思われた方がおられたら申し訳ありません。皆様はそうならないよう下のルートマップを参考にしてください。
 阿波は単純な造りの城が多いため断言はできませんが、真之が仮の居城として茨ヶ岡城を築いただけでいずれは勝瑞城に戻るつもりだったのでしょうか。


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