四面山勝定寺(出雲古志氏ゆかりの寺)

●四面山勝定寺
住所:島根県出雲市馬木町59
駐車場:有り

 臨済宗。天正5(1577)年、戸倉城主・古志重信が石見小笠原氏の旧臣・高見長清の孫である僧・正菊を開基として創建した。当初は比丘草庵と号していたが、のちに勝定寺と改められる。天正17(1589)年頃、重信が出雲を去った後も伽藍の整備が進められた。七代住職・湘南が出雲市渡橋町の観音寺から入って隣の土地を買収して境内を広げ、明治年間には十三代住職・禅正が更に境内を拡張し、庭園を造って数百株のツツジを植えている。昭和年間には十八代住職・弘篤氏が老朽化した伽藍と庭園を整備した。
 真言宗であったが、のちに観音寺の末寺となり臨済宗に改宗したという。『朝山村史』には天正以前に建てられた可能性があるとの記載がある。

(参道。左手に駐車場がある)
参道

(山門)
山門

(参道その2)
参道

(大慈閣)
大慈閣

(本堂)
本堂

(鐘楼)
鐘楼

感想:『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』から割愛した史跡です。
 ここはツツジの名所として知られていますが私が行った時は時期がずれていたので見ていません。訛りのせいか何故か地元の人と間違えられ観光客にツツジについて質問されました。



美保関灯台(山陰最古の石造りの灯台)

●美保関灯台
住所:島根県松江市美保関町地蔵崎
駐車場:有り

 明治31(1898)年にフランス人技師の設計で建てられた山陰最古の石造りの灯台。大正11(1922)年に電化された。当初は地蔵崎灯台という名前だったが全国に地蔵崎の名称が多かったため美保関灯台に改められる。昭和37(1962)年に無人化された。平成10(1998)年、百周年の記念行事が行われ、同年にはドイツのハンブルグで開催されたIALA(国際航路標識協会)の総会で歴史的・文化的価値のある文化遺産として「世界の歴史的灯台100選」に選ばれた。令和4(2022)年、国の重要文化財に指定される。
 地蔵崎という地名は航行の安全を祈願して多くの地蔵が祀られたことからきている。

(美保関灯台)
美保関灯台

(駐車場付近から見た灯台と日本海)
灯台と日本海

(昭和2(1927)年8月24日に大日本帝国海軍が演習中に多重衝突を起こした美保関沖遭難事件の慰霊碑)
美保関沖遭難事件の慰霊碑

(近くにある沖之御前と地之御前の島は事代主神が魚釣りをするという場所ということで建てられた遙拝所)
遙拝所

(灯台付近から見た伯耆大山)
伯耆大山

感想:近くですがなかなか行くことがなく行った際も適当に見て帰ったので、次回はじっくりと散策してみようと思います。



石見安芸街道(旧広島街道。毛利元就も避けた難所)

●石見安芸街道(旧広島街道)
住所:島根県浜田市旭町都川
駐車場:案内板の辺りに駐車スペースあり

 浜田藩の参勤交代道の石見安芸街道沿いに赤谷(浜田市旭町都川)と呼ばれる地域があり、藩主の休息のため赤谷御茶屋が設けられ通行の際は津和野藩の代官が出迎えていた。赤谷は現在の浜田市旭町今市~浜田市旭町市木の山や都川川を東西に通過する石見安芸街道の中間にあり、石浦峠や甑坂など難所が続いており、戦国時代に毛利元就も石州一の難所と言って避けて通ったという。それらを過ぎると市木の三坂峠を経由して安芸に出られたが、三坂峠も急坂の難所だった。
 安永10(1781)年には都川川に赤谷橋が架けられたが現在は撤去されている。

(石見安芸街道を切断するように南北を走る県道5号線)
県道5号線

(赤谷にある案内板の横にあった石仏)
石仏

(都川川。この先に石見安芸街道が続いているらしい)
都川川

感想:車で走っていたら案内板があったので寄ってみました。