横田神社(秋上伊織介ゆかりの神社)

●横田神社
住所:島根県松江市美保関町森山277
駐車場:無し
 祭神は大己貴命など。創建年代は不明だが、かつては現在より西の横田谷にあり「延喜式」に記載のある横田神社は当社だという(同町下宇部尾にある同名の神社という説有り)。
 横田山城主・秋上伊織介の崇敬が篤かったが、永禄6(1563)年毛利軍によって横田山城が落とされると現在地に移転されたという。天正9(1581)年、本殿が破損したため内殿が古関(同地区)にあった美保神社に合祀された。天正19(1591)年、再建されると逆に美保神社を合祀する。近世には一社一礼の神社として松江藩の中で別格の扱いを受けたという。

(鳥居)
鳥居

(神門)
神門

(拝殿)
拝殿

(本殿)
本殿

(末社。何が祀ってあるのか確認し忘れた)
末社

(狛犬)
狛犬

感想:この辺りは道が狭いので運転には気をつけた方がいいです。


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板井川要害(三隅氏の城)

●板井川要害(板井川城・登代城・戸城・戸代城)
住所:島根県益田市美都町板井川
駐車場:なし(近くに双川峡の駐車場があるが駐車の可否は不明)
遺構:曲輪、堀切、竪堀、横堀
標高:290メートル/比高:30メートル

 益田市指定文化財。三隅川の支流・板井川沿いにあり、安芸方面に抜ける道を抑える位置にある。城域は北から南にかけて約200メートルあり曲輪と堀切が続いている。
 築城年代は不明だが三隅氏が築城したと伝わり、暦応4(興国2、1341)年に益田氏に従う安富教元が当城を落とした。戦国時代になると当地区を含む丸毛郷などを巡って三隅氏と益田氏が争ったことから度々領主が変わった。
 天文24(1555)年、益田氏が陶晴賢の力を背景に三隅領の沿岸部を占拠すると三隅氏は内陸部へ追いやられる。数年後、これに対して三隅氏は尼子氏に内通した。理由は弘治3(1557)年に益田氏が尼子氏に敵対する毛利氏に降っていたためである。しかし内通が露呈。永禄4(1561)年、益田氏に当城を攻められ翌年には落とされている(「益田家文書」「小原文書」)。
 「赤雁斎藤家系図」には、戦国時代に斎藤信貞が功を立て三隅興信から当地区を与えられ築城。元亀年間、三隅隆繁が尼子再興軍に呼応し毛利氏に反旗を翻すと信貞の息子・信周もこれに従った。しかし宇津川城主・小原修理大夫に攻められて敗死。信周の子・信城は益田氏に仕えたとある。

(東から見た板井川要害。東西は急斜面になっている。矢印の場所から登る)
全景

(登り口近くにある石号の里。ここで柴犬のルーツとなる石州犬が生まれたらしい)
石号の里

(少し登ると城域に到着。ここからひたすら北に向かう)
城域

(南端の曲輪(尾根?))
曲輪

(やがて広めの曲輪に出る)
曲輪

(堀切)
堀切

(堀切その2)
堀切

(投石用の石らしい)
投石用の石

(再び曲輪。こんな感じで曲輪と堀切が続く。載せなかったが、この間にも曲輪がいくつかあった)
曲輪

(横堀)
横堀

(主郭? この辺りで道が危険になってきたので引き返した)
主郭

感想:前は保存会によって整備されていたそうです。今も状態が良いことから自治体や自治会が整備をしているのかしれません。
 竪堀があったようですが分かりませんでした。


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隠岐中村城(河渡氏の居城)

●隠岐中村城
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町中村
駐車場:なし
遺構:曲輪・土塁など
標高:106メートル/比高:92メートル

 城主は足利氏を祖とする河渡氏だったという。近くの中村港や西村港を押さえるために築城されたと思われる。天文元年(1532年)、河渡氏は尼子経久の援軍を得て隠岐を平定しようとする佐々木(隠岐)氏に抵抗したが敗れた。その後は不明である。
 現在、城趾のある山を蛇山(じゃやま)と呼ぶが、これは城山(じょうやま)が変化したものではないかと推測されている。

(一ノ森神社の鳥居。境内から城に登ることができる。神社の由緒については気が向いたら調べてみる)
鳥居

(山道にある岩。城に関係があるかなと思って撮影したが、ここは城域ではないらしい)
岩

(城域が見えてきた)
山道

(西の主郭と東の曲輪の間にある堀切)
堀切

(主郭)
主郭

(主郭の西端にある小さな曲輪から主郭側を撮影)
主郭2

(12月13日に主郭で大山祭りが行われる。写真はその跡。ここから中村漁港が見えるのだが写真では白飛びして分からない)
儀式

(東の曲輪)
西の曲輪

感想:北と主郭の更に西にも曲輪があったのですが、道が荒れていたため行きませんでした。あと土塁も見つけることができませんでした。


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