埼玉県史跡巡り2010(3日目前編:羽生城・斎藤実盛の像・熊谷直実の像)

 2010年11月22日(月)、朝の7時半に加須市のホテルを出る。

27.羽生城・・・羽生市東5丁目。戦国時代、北条氏・扇谷上杉氏・上杉謙信の争奪戦の舞台となる。徳川家康の関東移封後は大久保氏に与えられるが、1614年に大久保氏が改易されると廃城となった。現在は古城天満宮が建っている。

(古城天満宮にある城趾碑)

28.伊奈忠次の像・・・羽生市上羽生462。羽生領島中領用排水路土地改良区内にある。この周辺の治水・新田開発に力を注いだ徳川家康の家臣・伊奈忠次を讃えて銅像が建てられた。


29.歓喜院・・・熊谷市妻沼1627。1179年、斎藤実盛が大聖歓喜天を奉ったのが始まり。実盛の次男・実長が寺を建立。成田氏・徳川氏の庇護を受け、武蔵有数の大寺院となる。
感想:広い。

(四脚門)

(貴惣門)

(斎藤実盛の像)


30.龍淵寺(成田氏の墓)・・・熊谷市上之336。1411年、成田家時が建立し成田氏の菩提寺となった。12世の住職は徳川家康の幼なじみだったといわれている。

(成田氏の墓。どの墓が誰のものかは不明である)

31.熊谷寺(熊谷氏館)・・・熊谷市仲町43。源頼朝に「日の本一の剛の者」といわしめた熊谷直実の館跡。直実の墓がある。
感想:参詣は檀家さん以外は無理そうだったので諦めました。

 この辺りから雨が激しくなってきた・・・。

32.熊谷直実の像・・・熊谷駅北口のロータリー。
感想:熊谷市民にとても愛されているらしい直実さん。


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埼玉県史跡巡り2010(2日目後編:足利政氏の墓・内藤家歴代の墓・忍城)

20.蕨城・・・蕨市中央4-21。南北朝時代に渋川氏が城主を務める。1525年前後、扇谷上杉家に攻められ落城。江戸時代初期に徳川将軍家の鷹狩休憩所として御殿が建てられた。現在は蕨城址公園として整備され堀跡・土塁の一部が残る。

(城趾碑)


21.甘棠院 ・・・久喜市本町7-2。古河公方・足利政氏が1519年頃に隠居した館跡。寺は政氏の子(弟とも)が開山したといわれる。
感想:「拝観時間は15時までです」と聞かされていたので、今日はここにあわせてスケジュールを組んだ。12時半に着いたので問題なく入れた。

(寺の周辺にある空堀)

(足利政氏館跡)

(足利政氏の墓)

22.善宗寺・・・久喜市菖蒲町下栢間2639。徳川家康の重臣で栢間を治めた内藤家の菩提寺。
感想:案内板も何も無く、お寺の方も不在だったためお墓に辿り着けないかと思った。しかし宝篋印塔のそばに倒れていた卒塔婆に「内藤家」という文字を見つけ歴代の墓だと分かった。

(内藤家歴代の墓)

23.菖蒲城・・・久喜市菖蒲町新堀菖蒲。古河公方・足利成氏が家臣の金田則綱に築城。小田原征伐後に廃城となった。現在は菖蒲城趾あやめ園になっている。内藤家が構えた栢間陣屋の移築門がある。菖蒲城の遺構はない。
(栢間陣屋の移築門)

(菖蒲城趾あやめ園全景。写真の右の林に碑がある)

24.騎西城(私市城)・・・加須市騎西町根古屋633-2。築城者・築城年ともに不明。1455年に上杉軍らが守る当城を足利成氏が攻略したのが初見である。上杉謙信の関東攻略の際に二度攻められている。やがて忍城の属城となるが、小田原征伐後、徳川家康の家臣の城となる。1632年に廃城。現在は1975年に建てられた模擬天守と僅かな土塁が残るのみ。
感想:模擬天守は資料館となっているようだが、開館は期間限定。

(模擬天守)


 今回は廻る史跡の数が多かったため、急いで廻ったらこの時点で14時半。日が落ちるのが早いにしても中途半端な時間である。そこで明日廻る予定だった忍城に向かった。

25.忍城・・・行田市本丸。1479年頃までに成田氏によって築城された。小田原征伐の際、石田三成の水攻めに耐え「城が浮かぶ浮城ではないか」と呼ばれた。徳川家康の関東移封後は松平信綱など譜代の家臣が城主を務め明治維新を迎えている。近年は『のぼうの城』の舞台として注目を集めている。
感想:忍城おもてなし甲冑隊さんが観光客のお出迎えしていた。あとは資料館の前で特産物が売っていたくらいしか記憶にない。

(本丸跡の碑。現在、ここは駐車場になっている)

(復元された御三階櫓)

(外堀だった水城公園)

26.高源寺・・・行田市佐間1-2-9。忍城の城将として奮戦した正木丹波守が戦没者を弔うために開山した。

(1981年に建てられた忍城水攻め戦没者慰霊碑)

(正木丹波守利英の碑)


 日が落ちてきたので、ここで終了。加須市のホテルにチェックインしてゆっくりした。
本日の感想:甘棠院に行くためにいくつかの史跡を飛ばして廻った。そのせいで時間が余ってしまい、翌日行く予定だった史跡を前倒しで廻ったのだが、それが後日幸いすることになる。
 土地勘のない県での史跡巡りは予定を立てるのが難しいのう。

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埼玉県史跡巡り2010(2日目中編:太田道灌の墓・岩槻城・見性院の廟)

16.芳林寺・・・さいたま市岩槻区本町1丁目7-10。太田氏所縁の寺。

(太田道灌の騎馬像)

(太田資正の嫡男・氏資の像)

(太田道灌の墓)

(太田氏資の墓)

(三河三奉行の一人でのちに岩槻城主となった高力清長の息子・正長の墓)

17.太田道灌の像・・・埼玉県さいたま市岩槻区本町3丁目2ー5(岩槻区役所)。
感想:県内のあちこちで愛されている道灌さん。


18.岩槻城・・・さいたま市岩槻区太田3丁目。1457年、太田氏(成田氏という説もある)によって築城された。のちに小田原城の支城となるが、小田原征伐で落城。徳川家康が関東に移封されると譜代の重臣が城主を務める。城門・土塁が残る。
感想:土塁を撮り忘れた・・・TT

(城址にある岩槻公園)

(城門)


19.清泰寺・・・さいたま市緑区東浦和5丁目18-9。平安時代初期の開山と伝わる。保科正之を育てた武田信玄の次女・見性院は当寺に葬られている。
感想:ここが見性院の本墓になると思われる。

(本堂)

(見性院の廟)


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