高槻カトリック教会(高山右近顕彰碑)

住所:大阪府高槻市野見町2ー26

 キリシタンで高槻城主だった高山右近が追放された地・フィリピンのマニラ市に建つパコ教会を模して建てられた。

(教会)

(高槻城主エスト高山右近之像。イタリアの彫刻家ニコラ・アルギーニの作品)

(高山右近顕彰碑)

感想:教会は行き慣れていないせいか、入る際に緊張しました。


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本行寺(高槻城移築門)

住所:大阪府高槻市大手町2ー43

 日蓮宗。もとは岡本寺と寺号で別の場所にあったが、天文法華の乱や高山右近による寺社焼き討ちで焼失する。1596年、現在地に本行寺として再建された。高槻城主・永井氏の祈願所となり、1651年に本堂が改修されている。

(山門。高槻城の高麗門を移築したもの)

(六地蔵尊とか鐘楼とかもろもろ)

(本堂)


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伊勢寺(和田惟政の墓)

住所:大阪府高槻市奥天神町1-1-19

 曹洞宗。三十六歌仙の一人・伊勢姫が晩年に当地で草庵を結ぶ。伊勢姫が亡くなった後に天台宗の寺となったという。戦国時代にはキリシタン大名・高山右近によって焼かれた。寛永年間(1624~1644年)に曹洞宗の寺として再建される。

(山門)

(豊川稲荷)

(伊勢姫の和歌、「難波潟 みじかき葦の ふしの間も逢はでこの世を 過してよとや」を刻んだ歌碑)

(筆塚)

(本堂)

(六地蔵尊)

(墓地の中腹に建つ伊勢姫の廟堂)

(伊勢姫の廟堂の左を更に上がったところに建つ和田惟政の墓(中央)。惟政は高槻城主だったが白井河原の戦いで池田勝正に敗れ戦死した。享保年間(1716~1736年)、高槻城改修の際、墓石が見つかり当寺に移された。墓はご覧の通り、かなり風化していた)

感想:上宮八幡宮の北側に位置するのですが、八幡宮が南に下る参道しかないため、かなり遠回りをしました。住宅街にあるため道は分かりづらいですが、案内があるため迷うことはありませんでした。


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