頼重院(諏訪頼重の供養塔)

住所:長野県諏訪市大字四賀神戸3433

 1542年、諏訪頼重は武田信玄に敗れ甲府で自害した。その頼重の菩提寺として建てられたのが頼重院である。頼重の供養塔がある。

(駐車場及び山門・本堂)

(本堂)

(諏訪頼重の供養塔)

(こちらは新しい頼重の供養塔・・・だと思う。右後ろの石は頼重の怨念のために7つに割れてしまったと伝わっている)

コラム:この日は花粉症のために思考力が低下し、本来の供養塔をきちんと写真に収めることが出来ませんでした。


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信濃干沢城(安国寺城)

住所:長野県茅野市宮川

 標高995メートルの山城。築城年代は不明。諏訪氏大祝家の拠点とされている。当時は山裾を宮川が流れていたという。戦国時代には諏訪氏の内紛や武田氏・高遠氏と諏訪氏の戦いなどの舞台となり幾度か戦乱に見舞われた。郭・空堀などの遺構がある。

(主郭にある城址碑)

(主郭)

(二~四郭)

コラム:安国寺側から登ったのですが道があまり整備されておらず、城から降りる時に足下が滑って少し恐かったです。


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信濃安国寺

住所:長野県茅野市宮川安国寺2819

 足利尊氏・直義の兄弟が夢窓国師の勧めに従い、国土安穏の祈願、ならびに戦没者の供養のため、国分寺の制にならい、日本六十余州の国ごとに一寺一塔を建立させた禅寺。信濃は諏訪円忠の働きで諏訪地方に建てられる。宮川の氾濫や武田信玄と高遠頼継の戦いなどで衰退したが、諏訪頼満の帰依によって再建される。安永年間(1772~1781年)に現在地に移転された。

(楼門)

(石塔)

(本堂)

コラム:近くの干沢城(安国寺城)に歴代住職の墓があります。


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