京都市史跡巡り2011(1日目:東本願寺・蓮光寺・山中幸盛の墓・阿弥陀寺)

 2011年4月2日(土)、1年振りに京都に行く。京都駅に着くと桜目当てなのか人でごった返していた。

1.東本願寺・・・京都市下京区烏丸通七条上る。浄土真宗大谷派の本山。1272年、親鸞の娘・覚信尼が東山大谷の地に御影を安置したのが始まり。1602年、徳川家康が土地を寄進し現在地に移った。
感想:浄土宗と浄土真宗のお寺は、宗祖・法然八百回大遠忌と宗祖・親鸞七五〇回大遠忌で混雑しているはずだったが、東日本大震災の影響で諸々の行事が春から秋に延期されたらしい。

(御影堂門)

(御影堂)

(鸞恩(らんおん)くん。親鸞七五〇回大遠忌のPRするためのゆるキャラらしい)

2.蓮光寺・・・下京区富小路通六条上る本塩竈町534。長宗我部盛親の菩提寺。もっと知りたい! 長宗我部元親を出版できた報告を盛親さんにするために寄った。

(長宗我部盛親の墓)





3.薩摩藩志士之墓・・・上京区相国寺門前町。相国寺の東門の側にある。西蛤御門の変・鳥羽伏見の戦いで戦死した薩摩藩士72名の墓。
感想:次の目的に向かう途中に、たまたまあった。

4.本満寺・・・上京区寺町通今出川上ル2丁目鶴山町16。日蓮宗本山。1410年に開基された。山中幸盛(鹿介)の墓がある。
感想:ここは桜が咲いていたため、アマチュアのカメラマンで賑わっていた。本堂も説法の最中だったので、そちらも賑わっていた。

(山門をくぐったところに咲いていた桜)

(本堂)

(山中幸盛の墓。刻んである文字の一部が欠けていた)

5.十念寺・・・上京区寺町今出川上3丁目鶴山13。浄土宗。1431年、真阿が足利義教の帰依を受けて誓願時内に一坊を建てたのが始まり。1591年、豊臣秀吉によって現在地に移された。足利義教・曲直瀬道三らの墓がある。
感想:事前に調べておらず、たまたま入っただけだったのでお墓は分からなかった。

(山門)

(曲直瀬道三顕彰碑)

6.阿弥陀寺・・・上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町14。浄土宗。天文年間(1532~1555年)、清玉の開基。本能寺の変の際、織田信長と親交のあった清玉は本能寺に駆け付け信長・信忠父子や家臣の遺骸をこの寺に埋葬した。1587年、現在地に移転。

(本堂)

(織田信長信忠討死衆墓所)

(森三兄弟(蘭丸・力丸・坊丸)の墓。上記の墓の右にある。灯籠?に隠れていたため気がつかないところだった)





7.誓願寺・・・中京区新京極通三条下ル桜之町453。浄土宗。667年、天智天皇の勅願で奈良に創建。鎌倉時代に京都に移転され、1591年に豊臣秀吉によって現在地に移転される。渡邊勘兵衛了一族の墓がある。

感想:墓地に行くにはお寺で申請書への記入が必要です。

(渡邊勘兵衛の墓)


 この後は特に目的も無く、先斗町をぶらぶらした後、駅に向かった。

(先斗町。こういう普通の風景写真をしばらく撮っていないなあ・・・)

(駅に向かう途中にあった出雲の阿国の像)

 まだ明るかったが疲れていたので、ホテルでゆっくりした。

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山陰帰省&史跡巡り2008(1日目:長宗我部盛親の墓・阿茶の局の墓・織田有楽斎の墓)

 約1年ぶりに山陰に帰省した。前回は友達の結婚式だったので、あまりゆっくりできなかったけど、今回は山陰を満喫しよう。
 でも、その前にちょっと京都で観光。
1.長宗我部盛親の墓
やっぱり行っちゃった・・・。京都に来たら挨拶しとかないけん気がして。

2.上徳寺
盛親の墓がある連光寺から北100メートルほどの位置にある。徳川家康の側室・阿茶の局の墓がある。

3.正伝永源院
京都市東山区大和大路通四条下るにある。茶人として有名な織田有楽斎の墓がある。
他にも細川家歴代の合祀墓。福島正則と家臣の墓がある。
 福島正則と家臣の墓は、何でここにあるのかよう分からんかった。どれが誰の墓だかも分からんかったし。

 取りあえず今日はこれだけで京都駅に戻って、山陰に帰省した。

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若狭・丹後史跡巡り2008(3日目:天橋立・宮津城・一色稲荷社・武田元明の墓)

 平成20年3月25日(月)、京丹後市で目覚める。最初は細川ガラシャの隠居地に行こうと思って、ここにホテルを取ったのだが、地図を見ると危険な臭いがする・・・。道は狭く、他の方のブログでも「行くのに苦労した」との記述が目につく。
 もう道に関しては無理はしないと決めていたので、近くにあった吉原山城に行った。でも、現場に行ったものの登る体力がすでに残っていなかったので、麓の陣屋周辺を撮影するにとどまり去った。
(峰山陣屋)

 次はいよいよ、いよいよメインの天橋立に向かう。25年ぶりだあ・・・。前は父親がずっとビールを飲んでいたことしか記憶になく、まったくどんなところか覚えていない。
 車で朝の9時半には駐車場に到着。さすが平日の朝、駐車場がガラガラ。そこからリフトに乗って展望台に移動。さらにバスで成相寺に上がる。上がる最中、バスの運転手から丹後の戦国時代について教わった。やっぱりどこの地方でも歴史があるなあ・・・。
 バスを降りて弁天山展望台に行くと。・・・やはり日本三景は違うなあ。絶景ですわ。ここまで車で来られたというショックな事実も知ったけど、そんな細かいことも吹っ飛んだくらいの景色だった。
(天橋立。霞んでいない日は遠く能登半島まで見えるらしい。にわかには信じがたいのだが・・・)

(成相寺)

 風景を楽しむとバスでリフト乗り場まで降りる。そして有名な股覗き(逆さ見)のポイントでの撮影を行なう。
(こんな感じ。これで天に橋がかかるように見えるので、天橋立と呼ばれている。当然、逆さには撮っておらず写真を180度回転させただけ。写真を見ているだけで酔いそう・・・ーー;)

 撮影が終わるとリフトを使って地上に降りる。
(リフトから撮影した天橋立)

 これで天橋立は終わり・・・ではなく、今いる傘松公園から反対側の智恩寺方面に廻って、天橋立を歩いてみた。
 入り口の智恩寺に行くと鉄砲の名手・稲富一夢斉の墓があった。知らなかった。思わぬ収穫だ・・・。
(稲富一夢斎の墓。供養塔の可能性もありとのこと)

 それからぶらぶらと天橋立内を歩く。あ~、海が綺麗だな。空も綺麗だなあ。そんなこと感じながら歩いていると、目的地の「岩見重太郎仇討ちの場」に到着。ほとんど誰もいないので、じっくりと撮影する。
(岩見重太郎仇討ちの場。薄田隼人正兼相と同一人物説があるらしいが、かなり怪しい)

 天橋立は全長3キロもあるので、仇討ちの場があった1キロ辺りで引き返した。
 これで観光はおしまい。再び史跡巡りに戻る(ってここも史跡か?)。宮津市内に行き、まずは宮津城に行く。とは言っても残っているのは宮津小学校にある太鼓門だけ。学校の人に許可をもらって中から撮影。小学校の外からも撮影できたけど、道が複雑で行き方が分からなかった。
(宮津城の太鼓門。補修もされていないのかボロボロ。案内板もないし・・・TT)

 次の大久保山城に向かうため、車でうろうろしていると偶然、一色義清が自害した場所である一色稲荷社を発見!すぐに車を停めて撮影する。
(一色稲荷社。案内板を見ると義清・義定が混同していて誰がここで自害したのか分からない。殺された経緯の内容は義定だが、碑の名前は義清。う~ん・・・)

 そんな一色稲荷社を後にして大久保山城の近辺(だと思う)に到着。しかし正確な場所が分からず、近所の人に聞くが、何となく違うっぽい。結局、自分の勘を頼りに行ったら案内板を見つけた。当たりだった。
(大久保山城。現在は桜山児童公園になっている。短期間だがここで細川忠興とガラシャが暮らしたらしい)

 続いて宮津市から南下して舞鶴市に戻る。田辺城はもう見たので、建部山城に行く。ここも山城で面倒くさかったので、麓の安寿姫塚まで行って終了。何度も言うけど、二日間も山城登ったので体力がなかった><
(建部山城・・・だと思う)

 これで丹後・丹波の旅は終了・・・だけど、帰る前にもう一箇所だけ行きたいところがあった。それは滋賀県高島市の宝幢院にある武田元明の墓。場所は宮津市とまったく違うけど、どうしても行ってみたくて。
 高速道路と下道を使って16時頃に宝幢院に到着。きちっと案内板もあったのでお墓を探さなくてもすぐに行けた。お墓は今の檀家さんのお墓とは違う場所にあって荒れ果てており、時代の流れを感じた。
(武田元明の墓。武田元明は本能寺の変の混乱に乗じて領地の若狭を回復しようとしたが失敗した悲劇の武将。ってこの手の武将は戦国時代では珍しくなったのだろうけど)

 旅行に行く前に武田元明の墓を調べている時、「ダークオーラを感じる」と書いているサイトがあったけど、現地に行ったら私はそれよりも悲哀を感じたな。人って他人から忘れられるのが一番辛いと思うんだよね。だから、前も言ったけど、こうやって忘れられないように紹介してあげるのが一番の供養だと思うんだけどな(これは私の勝手な考え)。
 これで本当に史跡巡りは終了。そのまま高速道路に乗って愛知県に帰った。
感想:3日目で次の日は仕事だったので無理がないスケジュールで動いた。そのため、大した数は行けなかったけど仕方がないかな。天橋立を写真に撮ったのでこれで日本三景の撮影を達成。武田元明の墓は近くを通ったら是非行ってあげてくださいm(._.)m

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