2012年正月京都巡り(蓮光寺・渋江政光の墓・安国寺恵瓊の首塚)

2012年1月3日(火)、実家から愛知県に戻る。米子駅が改装中で危うく高速バスに乗り遅れそうになったよ・・・。

 京都に着いたのがお昼で時間があったため観光することにした。

1.蓮光寺・・・下京区富小路通六条上る本塩竈町534。長宗我部盛親の菩提寺。
感想:年に一度のご挨拶ということで。2000年に初めて参った時は案内板も何も無く、数年後に説明版が出来たが、今回参ったらそれが風雨でかなり傷んでいた。時代の流れを感じる・・・。

(長宗我部盛親の墓)

(2006年当時の説明版)

(2012年現在の説明版)

2.本覚寺・・・京都市下京区富小路五条下る本塩竈町558。1222年に創建された浄土宗の寺。応仁の乱で荒廃するが細川政元により再建される。豊臣秀吉の命で現在地に移された。
(山門)

(佐竹義宣の家臣・渋江政光の墓)

3.建仁寺・・・京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584。1202年に栄西によって開基された。臨済宗建仁寺の総本山。貴重な水墨画・障壁画などを多数蔵している。
感想:安国寺恵瓊の首塚があると聞いて行ってみた。

(西門)

(法堂)

(法堂の天井にある描かれている双龍図)

(本坊。ここから方丈や本堂の中に入れる。有料)

(海北友松筆の雲龍図襖。本堂内だと思う)

(安国寺恵瓊の首塚。方丈の移築や建物の修復など功績を残したため、斬首後に建仁寺の僧侶が首を持ち帰って葬った)

 これにて終了。再び高速バスに乗って愛知まで帰った。

本日の感想:建仁寺は暖かくなったら再訪してゆっくり見て廻りたい。


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清涼寺(豊臣秀頼の首塚・渡辺糺の墓)

住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46

 京都・嵯峨の清凉寺といえば、釈迦堂の名で広く親しまれてるとともに、浄土宗の元祖法然上人が、24歳の時に人々を救う仏教を求めて、同寺の釈尊像の前に7日間おこもりした由緒ある寺院。
 仁王門から入った広い境内には、本堂はじめ、阿弥陀堂、一切経蔵、薬師寺、宝物館、弁天堂、狂言堂、聖徳太子殿、法然上人求道青年像、鐘楼、豊臣秀頼公首塚、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいる。
(清涼寺のホームページより引用)

(多宝塔)

(本堂)

(豊臣秀頼の首塚)

渡辺糺ら渡辺一族の墓)

コラム:渡辺一族のお墓は昔は案内板などがあったそうですが、今は訪れる方が激減したため撤去したとお寺の方が言われてました。
 豊臣秀頼の首塚ですが1980年に大阪城の三の丸から出土した秀頼の首を1983年に納めたもので、首に介錯の跡があったそうです。1998年までは5月8日に豊臣秀頼公忌があったそうですが、最近は行なっていないそうです。


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妙心寺(寿聖院・玉鳳院)

住所:京都市右京区花園妙心寺町1

 京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。延元二年開創。開基は花園天皇。開山は関山慧玄。花園天皇の離宮萩原殿を寺としたもの。足利義満は祈願所としたが、大内義弘の乱に関連あるとして竜雲寺と改称して一時廃絶。七世宗舜が復興したが応仁の乱で焼失、九世宗深が再興。堂舎二十数棟、竜泉院・霊雲院・東海院・聖沢院・退蔵院・桂春院など四八院をもつ。大灯国師墨蹟などを所蔵。

(妙心寺三門)

(石田三成一族の菩提所・寿聖院)

(斉藤内蔵介夫妻墓所・智勝院)

(織田信長・信忠親子、武田信玄・勝頼親子などの墓所・玉鳳院)

コラム:ほとんどが非公開で中に入れないため、門ばかりの写真になってしまいました。


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