中国・九州史跡巡り2010(11日目前半:本妙寺・小西行長の墓)

 2010年8月21日(土)、本日は残った熊本の史跡を廻った後に福岡県に向かう予定。

113.東光寺・・・熊本市花園4-2-13。明智光秀の五女、立花家の重臣・小野鎮幸、小西行長の墓がある。

(小西行長の墓)

114.本妙寺・・・熊本市花園4-13-1。1585年、加藤清正が父のために建立した寺。1611年、清正が亡くなると現在地に移転された。浄池廟には清正の木像が安置されており、その下には清正の遺体が安置されている。
感想:さすが熊本の人に慕われている清正公さんの菩提寺。立派。

(参道)

(浄池廟。朝から熱心にお参りされている方がおられた)

(清正の像。浄池廟より更に高台にある。運動のために坂を上り下りしている地元の方がたくさんおられた)


 ここで熊本県は終了。時間があればもう少し廻りたかったんだけど・・・。続いては福岡県です。

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中国・九州史跡巡り2010(10日目後半:阿蘇神社・細川忠興の墓・熊本城)

110.阿蘇神社・・・阿蘇市一の宮町宮地3083ー1。肥後一宮。宮司は阿蘇氏が代々務め、現在91代目を数える。阿蘇氏は南北朝時代まで武士としても勢力を誇ったが、戦国時代には勢力を失う。江戸時代には熊本藩主の庇護を受けた。
 社殿は天文年間(1532~55年)に焼失し長い間、仮社殿の状態が続いていたが、1840年前後に細川氏の援助で建て直された。
感想:車で国道を走っていたら看板を見つけたのでふらっと寄ってみた。

(大楼門)

(拝殿)

(願かけ石。二千年前から神石として大切されてきたらしい)


111.立田自然公園・・・熊本市黒髪4-610。1637年、細川忠利が祖父の藤孝、祖母の光寿院、母ガラシャの霊廟を建て泰勝院と名付けたのが始まり。神仏分離令により廃寺となり、現在は公園となっている。

(細川藤孝の墓)

(細川忠興の墓)

(宮本武蔵供養塔)


112.熊本城・・・熊本市本丸1-1。熊本市のシンボル。加藤清正が築いた名城として知られる。
感想:14年振りに来た。こんなに広かったっけ?というのが最初の感想。前は城に興味が無かったから清正の像と天守を見てすぐに別の場所に移動したせいで記憶に残っていなかったのだろう。

(西大手門)

(石垣)

(裏から見た天守閣)

(宇土櫓)

(加藤清正の像)


 体力が無くなったので本日はここで終了。熊本市内の史跡は今日中に廻る予定だったけどとても無理だった。
本日の感想:結構な距離を移動したけど、そんなに苦にならなかった。クーラーの利く車の中にいられるだけ幸せだったので・・・。

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