土佐 佐喜浜城(崎浜城。大野家源内左衛門貞義の居城)

●土佐 佐喜浜城(崎浜城)
住所:高知県室戸市佐喜浜町(字 城山)
駐車場:不明
遺構:曲輪、堀切
標高:92メートル/比高:79メートル

 北に佐喜浜川、南に唐ノ谷川が流れ東で合流するため三方に自然の濠がある地形になっている。東には水運を利用するための船着き場があったと考えられている。築城年代は不明だが城主は大野家源内左衛門貞義で、貞義の先祖は伊予国浮穴郡久万庄の大野家城主だと伝わる。土佐の大野家は最御崎寺や金剛頂寺など真言宗の寺の大工の棟梁で寺社の棟札に名が残り、安芸郡東部の領主としても勢力を誇った。
 天正2(1574)年秋、安芸国虎を滅ぼした長宗我部元親は更に東部に侵攻する。そこで源内左衛門ら安芸郡東部の連合軍は中山越(高知県室戸市羽根町)で迎え撃ち、元親自身が槍を振るうほど追い詰めたが最後は撃退された。やがて東部の領主は次々と城を落とされるか降伏し連合軍の盟主だった源内左衛門だけが残る。天正3(1575)年3月、元親は佐喜浜に攻め込むと「ここにても源内、かしこにても源内とて度々手答えしたる奴なので、この度佐喜浜の者とならば犬迄も逃さず斬り捨てろ」と兵に命じた(『元親記』)。籠城戦は不利とみた源内左衛門は打って出たが敗北して戦死し、城も攻められ女性らも殺されたという。

(全景)
全景

(西から登ると下の概略図の曲輪1に出る)
曲輪1

曲輪1

曲輪1

曲輪1

曲輪1

(曲輪1から北側を望む。向かって右に流れるのが佐喜浜川)
北側

(堀切A)
堀切A

堀切A

堀切A

(曲輪2。中央には祠がある)
曲輪2

曲輪2

曲輪2

(曲輪3)
曲輪3

曲輪3

(曲輪4)
曲輪4

曲輪4

曲輪4

(曲輪5。城郭放浪記さんは堀切と書かれていたが自分には曲輪にしか見えなかった)
曲輪5

曲輪5

曲輪5

参考文献:高知県の地名、佐喜浜郷土史、長宗我部元親 50年のフィールドノート、城郭放浪記

感想:西の墓地から入ると参道の跡らしき道があるため、それに沿って行けば城に辿り着けます。ただし参道は分かりづらく下りでは迷いやすいので注意してください。
 城の麓は駐車できるようなスペースはありません。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
概略図



吉祥山無量寿院 乗台寺(長宗我部氏の重臣・久武親信の墓)

●吉祥山無量寿院 乗台寺
住所:高知県高岡郡佐川町甲1746
駐車場:あり

 真言宗。本尊は不動明王。正平19(貞治3、1364)年に創建される。当地を支配した三野氏、中村氏、久武氏の菩提寺として隆盛した。だが近世になると寺領を削られ常通寺の支配下となる。
 土佐の三大名園の一つで県指定名勝の「ひさご園」は、土佐藩の重臣・深尾重忠の妻が病気の際、平癒祈願を行ったところ効果があり全快の礼として築かれたという。上記の通り、深尾氏と関係が深く祈願寺になっていた。7つの末寺があったがいずれも明治4(1871)年に廃寺となり、当寺に合併されている。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(文殊堂)
文殊堂

(鐘楼)
鐘楼

(大師堂)
大師堂

(観音堂)
観音堂

(弁財天)
弁財天

(天満宮)
天満宮

(ひびせき地蔵尊)
ひびせき地蔵尊

(三野氏三代の墓)
三野氏三代の墓

(久武氏墓所)
久武氏墓所

久武親信の墓。昭和58(1983)年に建てられた碑には親直になっていたが、最近建った碑は親信になっていた。親直は関ヶ原の戦い後、新しい主君を求めて肥後に移っており土佐で亡くなっていない)
久武親信の墓

感想:参拝した時はお忙しそうだったので「ひさご園」は見学していません。



土佐室津城(室津氏の居城)

●土佐室津城
住所:高知県室戸市室津(字 土居ノ内)
駐車場:室津八幡宮に駐車可能
遺構:曲輪、堀切、竪堀
標高:90メートル/比高:72メートル

 築城年代は不明だが地元の豪族・室津氏(惟宗氏、室津別府氏)が地頭となって築城したという。室津氏は現在の室戸市内や安芸郡の東洋町・安田町に勢力を伸ばしていた。麓の室津八幡宮の永正15(1518)年の棟札に惟宗兵衛尉長氏の名があり、永禄6(1563)年に同社の棟札で息子の政長の名がある。
 長宗我部元親が安芸郡に侵攻してくると政長は安芸国虎らと共に抵抗。だが天正2(1574)年に敗れ人質を出して降伏した。以降、長宗我部軍に従って転戦している。

(登山道を進むと南東の浅い堀切Ⅰに辿り着いた。場所については下の概略図を参照)
浅い堀切Ⅰ

(Aの尾根)
Aの尾根

(曲輪(尾根?)Bと、Aとの間にある堀切)
曲輪

曲輪

堀切

(東西にあるⅡの竪堀)
Ⅱの竪堀

(曲輪C。西側に細長く伸びている)
曲輪C

(曲輪D)
曲輪D

曲輪D

曲輪D

(堀切Ⅲ)
堀切Ⅲ

堀切Ⅲ

(曲輪E。東西に段差があるが用途が不明。『土佐の山城』だと見張り用の曲輪ではないかと推測しているため、一段上がったところに櫓でもあったのかもしれない)
曲輪E

曲輪E

(曲輪Eの南西にある土橋?)
土橋

(堀切群Ⅳ。南から来た敵を北の主郭に進ませないためか城域の中でもっとも深く幅も広かった)
堀切群Ⅳ

堀切群Ⅳ

堀切群Ⅳ

堀切群Ⅳ

堀切群Ⅳ

堀切群Ⅳ

(曲輪F)
曲輪F

曲輪F

(曲輪G。主郭)
曲輪G

曲輪G

曲輪G

(堀切群Ⅴ)
堀切群Ⅴ

堀切群Ⅴ

堀切群Ⅴ

堀切群Ⅴ

(堀切群Ⅴの先の尾根)
尾根

(その後、北側から回り込んでHに向かおうとしたが迷ってしまった。写真は北側から曲輪Gに行くため、後世に作られた道。北側の登り口は不明だが室津神社の辺りにあるのだろうか)
後世に作られた道

(曲輪H。この先に堀切などがあったらしいのだが、荒れていたのと迷って疲れていたため引き返した)
曲輪H

曲輪H

曲輪H

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、室戸市史 上巻

感想:2019年に行った際は入口が分からず東の室津神社から尾根に登って撮影しましたが残念ながら隣の山でした。今考えれば堀切など遺構がなかったので間違いだったのは分かるのですが、当時は知識がなく無駄に尾根だけを撮影していました。
 城域へは行きは民家の道から入り帰りは室津八幡宮の鳥居辺りに出ましたが、民家の道から行った方が道が整備されており楽です。

(概略図)
概略図