鹿児島県史跡巡り2009(4日目後半:富隈城・舞鶴城・島津忠将供養塔・廻城)

49.富隈城・・・霧島市隼人町住吉浜之市にある。島津義久によって築かれた城で1595~1604年まで隠居地としていた。石垣などが残っている。
 山頂で高校生の男女が仲良くしていたので、悪いと思い早々に立ち去った。前も和歌山県の新宮城で同じことがあったなあ。田舎で人目の少ないところといったら城になるのかな?

50.舞鶴城・・・霧島市国分中央二丁目にある。1604年、富隈城が移ってきた義久が亡くなるまでいた城。義久が亡くなった後は、亀寿姫(ジメサア)が住み、さらにその後は地頭の館となった。現在は国分小学校となっている。
 この日は卒業式で学校に保護者の車がひっきりなしに来るので停めづらかった。

51.金剛寺跡・・・霧島市国分中央二丁目にある。城山公園の登り口にある。島津義久の菩提寺。義久の墓がある。
 西南戦争関係のものもあった。

52.徳持庵跡・・・霧島市国分上井にある。廃仏毀釈で徳持庵が破壊された後、金襴の袋に納められていた義久の分骨を、1875年に新たに埋葬した墓である。

53.上井城・・・霧島市国分上井にある。「上井兼覚日記」で有名な上井兼覚の居城。
 どこに遺構があるかよく分からなかったので、適当に撮影して去った。

56.島津忠将供養塔・・・霧島市福山町福山にある。廻城の攻防戦で戦死した島津忠将(貴久の弟)の供養塔。
 日州街道の途中に展望台があるので、そこに停めて歩いていくと便利。供養塔から見る眺めが良い。

(供養塔に行く途中の坂。先に見えるのが供養塔)

(供養塔からの国分方面の眺め)

55.廻城・・・霧島市福山町福山にある。肝付氏と島津氏の争奪の舞台となった城。
 島津忠将供養塔と同じく日州街道沿いにあるが、案内板が目立たず分かりづらい。車道も駐車場もあるのに、なぜか入り口が封鎖されている。

(戦死者の供養塔?)

(入り口にこれしかないので分かりづらい・・・)

本日はこれにて終了。

感想:廻城の場所が分からず苦労した。たまたま日州街道の途中の展望台で市の職員の方にあったので行けたけど。
 時間かけた割にはあんまり史跡に行けなかったな・・・。

写真の提供についてはこちらをクリック


鹿児島県史跡巡り2009(4日目前半:野間の関・新納忠元の墓・天堂ヶ尾関白陣跡)

平成21年3月6日(金)、出水市のホテルを出発。今日も天気が悪いなあTT

43.野間の関・・・出水市下鯖町にある。薩摩と肥後の間に設けられた関所で、証文の無い者は絶対に入れなかったという。薩摩藩は他国者の入国に厳しく、頼山陽なども苦労している。
 今はご覧の通り、旧道に復元された門と碑があるだけ。

44.大口城・・・伊佐市大口里城山にある。島津家の家臣・新納忠元の居城。石垣が多少、残っている。土塁もあるらしい。
 場所が分かりづらい。「秋葉神社入口」と書いてある場所が登り口。面倒だったし、雨で足場が悪かったので石垣を写して終わりにした。

45.新納忠元の墓・・・伊佐市大口原田にある。文武両道の名将として知られている新納忠元夫妻の墓がある。江戸時代に忠元を慕って参拝者が多く来たため、近くに忠元神社が建てられた。
 個人的には戸次川の戦いで戦死した長宗我部信親の遺骸を長宗我部氏の家臣が受け取りに来た際、「元親殿の心情をお察しします」と言って涙した逸話が印象的です。忠元は戸次川の戦いの3年前に長男を戦いで亡くしており、元親の心情を察したのでしょう。

(駐車場も完備(土だけど)。今でも訪れる人が多いのかな? 島津家家臣の中でも有名だからね)

46.忠元神社・・・伊佐市大口原田にある。新納忠元を祀るため1843年に建てられた。周辺は忠元公園となっており、市民の憩いの場になっている。
 が、神社の方には誰も来てなかった。

・曽木の滝・・・伊佐市大口曽木にある。東洋のナイアガラらしい。「曽木の滝洞窟きのこ園」ってのがあったけど、入るのはやめた。

47.天堂ヶ尾関白陣跡・・・伊佐市大口田代にある。九州攻めの際、最後まで大口城で抵抗した新納忠元だったが、島津義久の命で抵抗をやめ、ここで豊臣秀吉と会見した。その際、秀吉に対して「主人の命があればすぐにでも敵対する」と言ったという。
 山の中にある。場所も分かりづらい。関白陣跡のバス停から途中まで車で登っていくことができる。ただし駐車場はあまり広くない(まあ何台も停まっていることはないと思うので大丈夫だが)。
 天気が良ければ景色がいいと思う。

48.勝栗神社・・・姶良郡湧水町米永にある。鹿児島神宮の四所別宮の一つとして創建された。文禄の役で島津義弘が戦勝祈願した。
 どこにでもある普通の神社にしか見えなかったが・・・。

写真の提供についてはこちらをクリック


鹿児島県史跡巡り2009(3日目後半:島津歳久供養塔・虎居城・薩州島津家の墓)

38.島津歳久供養塔・・・薩摩郡さつま町宮之城屋地にある。各地にある供養塔の一つ。屋地公民館の前にある。

39.虎居城・・・薩摩郡さつま町宮之城屋地にある。祁答院郡司・大前氏によって築かれ、その後、渋谷氏の居城となった。戦国時代後期に島津家の城となり、島津歳久・忠長らが城主となった。
 場所が分からず近所の方に聞いたら、
「宮之城高校の中だよ。そのまま車で入っていいよ」
と言われたので、そのまま中に入る。するとなにやら工事の最中だったので、何をしているのか現場の方に聞いてみると
「川内川の水害対策で城を削って分水路を造っているところです。城全体を削る訳じゃあないですけど・・・。ですので、これが(この辺りの)見納めですね」
 水害対策のためなら仕方がないけど、文化財を削るのはちょっとねえ・・・。

(丘の一つ一つが曲輪。これが削られて川になる。重機が走っていて危険なので中には入らなかった)

40.宗功寺跡・・・薩摩郡さつま町虎居にある。元は大前氏が築城した松尾城跡だったが、1603年に宮之城島津家の菩提寺・宗功寺となった。廃仏毀釈で廃寺となり、墓だけが残っている。
 墓は立派なんだけど・・・やはり墓だけっていうのは寂しい雰囲気がする。

41.薩州島津家の墓・・・出水市武本にある。出水地方を支配した薩州島津家歴代当主と妻、そして家臣の墓がある。薩州島津家は140年もの間、出水を支配したが、朝鮮出兵の際に領地を没収された。
 ここから急に風がきつくなって傘が折れた。ここは道が狭く、入り口も車を停めておくようなところがなくて苦労した。

42.出水武家屋敷・・・出水市麓町にある。出水市の旧武家屋敷群。外城(江戸時代、薩摩藩が実施した一種の農兵制度による郷村。藩の外衛にあたる郷士が住む)の一つで、中でも大規模なものだと言われている。肥後との国境沿いだからだろう。

本日はこれにて終了。

感想:天気が・・・。分かっていたとはいえ、雨の日の史跡巡りは、やはりつらい。

写真の提供についてはこちらをクリック