石川県史跡巡り2009(3日目後半:気多神社・末森城・冷泉為広の墓)

31.妙成寺・・・羽咋市滝谷町ヨ-1。日蓮宗の寺。日蓮の孫弟子・日像が開山した寺。前田利常が寄進した建物を中心に多数の文化財がある。
感想:まあとにかく雨がひどくて、ゆっくり見ている暇もなかったですわ。靴もびちゃびちゃになった。
 建物は趣があったと思うが、それどころじゃなかった。

(山門。見ての通り土砂降り)

(五重塔)

(利常の母・寿福院の墓)

(本堂の一部?)

32.気多神社・・・羽咋市寺家町ク1。能登一宮。現在の本殿は戦国時代に能登の守護・畠山氏によって建てられた。
 現在は縁結びの神様として人気がある。出雲大社と同じく大国主命を主神としているため、縁結びの神社らしい。
感想:神社の厳かな雰囲気と、今風な縁結びの絵馬が同居しているのが何とも現代的な感じがした。こうやって寺社も変わって行くんだな。

(鳥居)

(本殿)

(絵馬)

33.末森城・・・羽咋郡宝達志水町竹生野。城主・土肥親真は上杉謙信に協力、謙信没後は織田信長の家臣となる。1583年に親真が戦死すると、前田利家の重臣・奥村永福が入った。1584年、越中の佐々成政は利家の領地・能登と加賀を分断しようと末森城を攻撃。落城寸前まで追い詰められるが、利家の援軍により窮地を脱する。その後、一国一城令で廃城となった。現在は石川県指定文化財となっている。
感想:雨が相変わらずひどく本丸への道は川のようになっていた。でも、ここまで来ていかん訳には・・・と思い、覚悟を決めて20分くらい登った。靴はもう完全に水浸し。こんな悲惨な史跡巡りになるとは・・・長靴持ってくれば良かったTT

(末森山古戦場の碑)

(本丸。ここから見る景色はいいらしいのだが、雨で何も見えず><)

(駐車場にあるトイレ)

34.津幡城・・・河北郡津幡町清水リ102。倶利伽羅峠の戦いの際、平家軍がここに布陣して砦を設けた。戦国時代に入ると、能登攻略に来た上杉謙信が布陣している。1584年の末森城合戦では、前田利家がこの城に入って軍議を行なった。
 現在は津幡小学校の高台に碑があるのみ。
感想:誰もいない雨の小学校はもの悲しいTT 高台は曲輪だったらしい。小学校の敷地内に戦国時代の公家・冷泉為広の墓があった。

(碑)

(為広塚)

 これで3日間の石川県旅行は終了。サービスエリアでお土産を買って帰った。

3日目の感想:苦しくも楽しい旅だった。雨には本当にまいった。あんな風雨の中で史跡巡りをするのは久しぶりだ。
 次は史跡巡りじゃなくて知り合いと観光で石川県に来よう。冬の兼六園や金沢21世紀美術館など普通に行きたい観光名所がたくさんあるし。冬なら魚も旨そう。

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石川県史跡巡り2009(3日目前半:小丸山城・前田利春夫妻の墓・七尾城)

 平成21年7月19日(土)、今日は晴れ間も見える!一日、降らないといいなあ~。

27.小丸山城・・・七尾市馬出町。1581年に能登を与えられた前田利家が築城。堀などの遺構が残る。
感想:利家と松の銅像の近くに大河ドラマになった喜びを記した碑があった。大河ドラマになったせいか利家の銅像が多いなあ。知っているだけで石川県に3つ、愛知県に1つだもんなあ。

(利家と松の像)

(小丸山城趾の碑)

28.長齢寺・・・七尾市小島町リ52。前田利家の両親・利春夫妻や、利家の兄・安勝の墓などがある。
感想:ここも例によって駐車場までの道が狭いので、気をつけて。周辺の道も狭いけど・・・。お墓が土を盛っただけの質素なものだった。昔は木が生えていたようだが枯れたのだろう。

(前田利春夫妻の墓)

(長齢寺から小丸山城を望む)

29.七尾城・・・七尾市古城町。説明不要なくらい有名な城だが、一応説明を・・・。能登畠山氏の居城。戦国中期には城下町も賑わいを見せた。1577年、上杉謙信によって攻略され廃城。
 石垣・土塁・曲輪などが良好に残っており、城好きならずとも一度は訪れてみたい場所となっている。
感想:明らかに戦国時代には興味がなさそうな人達も結構いた。普通の観光名所なんだなあ・・・。
 ここはねえ・・・。いいよ。まあ、何がいいってとにかく写真を見てください。



 まあこんな感じですわ。好みはあると思うけど、雰囲気いいですよ。

(碑)

30.東嶺寺・・・七尾市田鶴浜町ニ253甲。長連竜を始めとする長一族の菩提寺。長連竜の墓がある。
感想:お寺は改装していないようで痛んではいたが、由緒のある寺という雰囲気が伝わってきた。
 長連竜のお墓は勝手には入れないため、お寺の方に許可をもらって行くようにしましょう。

(長連竜の墓)

(山門)

 ここを出てから雨が本格的に降ってきた。食事をするなど時間をつぶすが止む気配なし。仕方なく次の目的地に向かった。

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石川県史跡巡り2009(2日目後半:富樫晴貞の墓・金沢城・宇喜多秀家と豪姫の供養塔)

20.天徳院・・・金沢市小立野4丁目4-4。徳川家康の孫で利常の正室・珠姫の菩提寺。お墓は野田山墓地にある。
感想:昭和初期の火災で山門のみが残ったらしが、その山門だけでも威光が偲ばれる。さすがは徳川家の血筋を引き、百万石の大名の妻となった方の菩提寺。

(山門)

(山門より本堂(?)を望む)

21.伝灯(傳燈)寺・・・金沢市伝燈寺町ハ179。織田信長に呼応して朝倉氏を攻めようとしたため、一向一揆勢に攻撃された富樫晴貞が自刃した寺。お寺には晴貞の位牌、近くに墓と供養塔がある。
感想:富樫氏といえば政親の代で終わっているような印象があるが、その後も存続していた。晴貞は守護としての権威をかなり回復していたようだが、一向一揆にはかなわなかったようだ。
 お墓はお寺とはちょっと離れた場所にあり、住職さんにご案内いただいた。お墓には「子孫の方がたまに来るだけでほとんど誰も来ない」とのこと。金沢に行ったら富樫さんのところにも訪れてみてください。

(富樫晴貞の墓と供養塔)

22.専光寺・・・金沢市本町2-3-40。1531年の「享禄の錯乱」までは権威を誇っていたが、一向一揆の台頭などで失墜。しかし江戸時代に入ってから復興し、北陸全域まで末寺を広げた。
感想:今、考えたら何で行ったのかよく分からん・・・。立派そうだったからかな?

(山門)

23.尾山神社・・・金沢市尾山町11-1。前田利家を祀る神社。
感想:神社の神門がなぜか洋式なのが気になった。国の重要文化財らしい。

(本堂と兜)

(鳥居と神門)

24.金沢城・・・金沢市丸の内1-1。加賀の一向一揆の拠点・尾山御坊の跡に建てられた城。一時期、佐久間盛政が城主だったが、賤ヶ岳の戦いで処刑されると、前田利家が入る。以後、明治維新まで前田家の居城となった。兼六園と並んで金沢市の観光名所である。
感想:疲れでぼ~っとしててあんまり覚えていない。とにかく歩いた。

(櫓)

(石垣)

(入り口)

25.藩老本多蔵品館・・・金沢市出羽町3-1。前田家の重臣・本多家の上屋敷があった場所。本多家伝来の武具などが展示してある。
感想:疲れたのでちょっとここで休憩した。

(蔵品館の外観。ここにも当然、天地人の旗がなびいていた)

26.大蓮寺・・・金沢市野町2丁目1-14。豪姫の位牌所。葬儀もここで執り行われた。豪姫と秀家の供養塔があるが近世になって建てられたもの。
感想:この近辺、むっちゃくちゃ渋滞してて、かなわんかった・・・。近くの犀川大橋が渋滞ポイントのようだ。

(宇喜多秀家と豪姫の供養塔)

 もっと廻ろうと予定を組んでいたけど時間切れと疲れのため、ここで終了。金沢市内ならまた来られるしね。
 金沢市でホテルが取れなかったので、休憩後にホテルを取った七尾市まで向かった。金沢市から結構距離があった・・・。

2日目の感想:天気が微妙。でも、暑い。気がついたら熱中症になりそうだった。
 七尾市と言えば・・・ということで明日はいよいよ北陸最大級の山城に行きます。

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