●慈眼院結城家御廟
住所:茨城県結城市結城
結城城に結城氏歴代の墓所があったが、天文22(1553)年当地に曹洞宗の慈眼院が建てられ墓所が移された(結城秀康が移したなど諸説有り)。慈眼院は近世まで存続していたが現在は廃寺となり墓所だけが残っている。
(歴代の墓。どの五輪塔が誰の墓かは現地の案内板に書いてあります)
感想:駐車場は無かったと記憶しています。
●下総結城城
住所:茨城県結城市結城
寿永2(1183)年、下野の大掾政光の三男・朝光が志田義広の乱の戦功で源頼朝から結城郡を賜り結城氏を名乗る。その際に築城されたというが定かではない。結城氏は南北朝時代には北朝に属して活躍した。永享12(1440)年に鎌倉公方・足利持氏の遺児を奉じて室町幕府と戦うが(結城合戦)、翌年に当城を落とされ没落する。
その後、再興し戦国時代は佐竹氏などに味方して生き残り、天正19(1591)年に徳川家康の次男・秀康を養子とした。慶長6(1601)年に秀康が越前福井に移封されると当城は廃城になるが、元禄13(1700)年に水野氏が当地を治めると居城として再建され明治維新まで利用された。
現在は城跡歴史公園として整備されている。
(公園内に建つ聰敏神社の鳥居。水野家の祖・水野勝成を祭る神社で福山市にある同名の神社から文化13(1816)年に勧請された)
(公園内に建つ結城合戦タイムカプセル埋設記念之碑。結城合戦で落城した嘉吉元(1441)年から600年後の2041年に掘り出される予定になっている)
感想:結城合戦で有名な舞台らしいのですが遺構はあまり残っていないようです。駐車場は祭りの準備をしている方が利用されていて駐めるところが無く苦労した記憶があります。
●孝顕寺
住所:茨城県結城市結城461
曹洞宗。永正12(1515)年、結城政朝が結城城の西側に永正寺として創建した。その後、現在地に移転され結城秀康によって孝顕寺と改号される。近世には結城藩主・水野家の菩提寺となる。
寺宝に紙本著色武者肖像画(伝・結城政朝像)・紙本著色結城晴朝肖像画などがある。
感想:秀康が越前福井に移封されると当寺も移転され菩提所になっています。