平賀氏墓地(安芸平賀氏の墓所)

●平賀氏墓地
住所:広島県東広島市高屋町高屋堀
駐車場:不明

 広島県指定史跡。平賀氏の菩提寺だった明道寺の跡だと伝わる。明道寺は慶長年間(1596~1615年)に廃寺になったと伝わり、地蔵堂だけが残っていたが現在はない。墓地には40基余の五輪塔や宝篋印塔が建っている。
墓地

墓地

墓地

参考文献:広島県の地名、現地の案内板

感想:この中に大内氏や毛利氏に味方した平賀弘保や、その孫で天文18(1549)年の備後神辺城の戦いで病死した隆宗の墓があったそうですが分かりませんでした。
 2016年に行った際は読めた案内板がGoogleストリートビューで見たら文字がほとんど消えていました。


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安芸 御薗宇城(平賀氏の居城)

●安芸 御薗宇城
住所:広島県東広島市高屋町高屋堀
駐車場:不明
遺構:曲輪、土塁
標高:276メートル/比高:20メートル

 広島県指定史跡。周りを水田に囲まれた独立丘である。弘安年間(1278~88年)に築かれたと推測されており、築城者は出羽平鹿郡から地頭として高屋保に入った平賀氏である。応永11(1404)年、山名満氏が安芸の新守護して下ると大多数の安芸の国人達が反対。山名軍は中心人物の一人だった平賀弘章の籠もる御薗宇城を攻めたが、弘章は息子などを失いながら防戦に成功。しかし屋敷から拡張しただけの城では防衛機能の弱いと感じた平賀氏は白山城を築いて移り、御薗宇城には家臣を置いている。

(入口から少し歩いたところにあった石積)
石積

(主郭の南にある曲輪)
曲輪

(主郭)
主郭

(全景)
全景

参考文献:広島県の地名、安芸の山城

感想:行った頃は城に関心がなく主郭くらいしか見ていません。主郭の周りに腰曲輪や北側に曲輪があります。


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瓜尾山(有陵山)蓮照寺(毛利隆元の位牌を安置)

●瓜尾山(有陵山)蓮照寺
住所:広島県安芸高田市高宮町佐々部1887
駐車場:不明

 浄土真宗。『芸藩通志』によると天文5(1536)年に羽佐竹村(高宮町羽佐竹)に願誓が建立し、寛文10(1670)年に現在地に移転したという。『広島県寺院明細帳』には昔は真言宗で毛利輝元逝去地がある和佐田地区にあり蓮花寺と称していたが、永禄6(1563)年に隆元が滞在中に急死すると住職は出雲に向かい毛利元就に報告をした後、留まって武運勝利を祈った。永禄9(1566)年、大名としての尼子氏が滅亡すると邇摩郡久利村(島根県大田市久利町)に居住して、慶長年間(1596~1615年)に蓮花寺を浄土真宗に改宗し蓮照寺と改称し、元和3(1617)年に移したという。
 『高田郡村々覚書』には蓮花寺は毛利隆元の位牌所だったが(毛利家が長州に移封されたため庇護を受けられず)大破し廃寺になったとあり、どれが正しいのか不明である。後世に作られたものだと思われるが、隆元と関係があった寺ということで隆元の位牌が安置してある。
 寺宝として後鳥羽上皇坐像(安芸高田市指定重要文化財)がある。隠岐を脱出した上皇は大山村(三次市作木町大山)に住んで亡くなり、遺体は蓮花寺に葬られたという伝承がある。その関係で坐像と位牌が安置されている。

(山門)
山門

(本堂)
本堂

(親鸞の像だと思う)
親鸞の像

(寺から西側を望む。写真の線路は、かつて島根県江津市と広島県三次市を結んでいた三江線。奥に見える建物が旧・式敷駅)
三江線

参考文献:広島県の地名、高田郡史 上巻、高田郡史 民俗編、芸藩通志 巻3、

感想:島根県邑南町から車で走っていたら大きな寺があったので参拝しました。毛利隆元と後鳥羽上皇の位牌も参拝したかったのですが、どなたもおられず諦めました。


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