住所:群馬県高崎市箕郷町上芝87
曹洞宗。
感想:車で走っていたら道に迷ってしまい、その時に偶然通りかかりました。お寺の方に詳しいことを聞こうと思ったのですが、お忙しそうだったのでやめました。
住所:群馬県高崎市箕郷町上芝87
曹洞宗。
感想:車で走っていたら道に迷ってしまい、その時に偶然通りかかりました。お寺の方に詳しいことを聞こうと思ったのですが、お忙しそうだったのでやめました。
住所:群馬県高崎市箕郷町富岡852
曹洞宗。箕輪城主・長野氏の菩提寺で長野業政の父・信業の開基と伝わる。開基堂には業政の木像が安置されている。
感想:業政の墓が本堂からかなり登ったところにあり、本当にあるのかどうか不安になりました。
住所:群馬県高崎市箕郷町西明屋(東明屋)
1500年頃に長野業尚によって築かれ、以後、長野氏の居城となる。長野氏は関東管領・山内上杉氏に仕えるが、山内上杉氏は北条氏によって次第に衰退し1552年には上杉謙信を頼って越後に逃れている。この期を逃さず武田信玄が西上野に攻め込んで来るが、長野業政の抵抗により容易に進まなかった。しかし業政が亡くなり業盛が継ぐと勢いを失い1566年に箕輪城が落ちている。
その後、武田氏を滅ぼした織田信長の家臣・滝川一益、一益を上野から追い出した北条氏の一族・北条氏邦が入り、1590年の小田原征伐後は徳川家康の家臣・井伊直政が入った。1598年、直政が高崎城を築いて居城を移したため、廃城となる。
感想:城の規模が大きすぎて時間が無くなり三の丸や蔵屋敷には行けませんでした。