デスクトップPC DELL Inspiron 3470のDドライブをHDDからSSDに交換した

注意:この記事を参考にして実行してパソコンに不具合が生じても私は一切責任を持ちません。

 DELL Inspiron 3470のDドライブの1TBのHDDを2TBのSSDに交換した。理由は
・史跡写真が増えたので半年くらいしたら1TBでは足りなくなりそう。
・異常はないけどHDDの予防交換。
・SSDに替えてみたかった。
 の3つ。

 今回購入したのはトランセンドのTS2TSSD220Q。理由は安い中では信頼できそうなメーカーだったから。
TS2TSSD220Q

 事前準備。
・Dドライブは外付けHDDなどにフルバックアップしといて。私は常に行っているので差分をちょろっとバックアップしただけで終わった。
・プラスドライバ
・不具合が生じた上に元に戻せなくなった時の覚悟(これが一番大事かもしれん)

1.まずはケーブル類を全部抜いて二箇所のネジを外す。写真を撮り直したのでケーブルが付いているが、当たり前だけどこの状態で作業しては絶対に駄目。
後ろ

後ろ

2.パソコンの上にあるカバーを、ネジを外した方にスライドして取り外し基盤が見える状態にする。
スライド

3.HDDがついているカバーの二箇所のネジを外す。
二箇所のネジを外す

4.SATAのケーブルの2本を抜く。1本ごとに名前があるかもしれんが自分は知らん。
2本を抜く

5.上に浮かせてスライドするとHDDカバーが抜ける。のだが自分は結構苦労した。
スライド

6.HDDカバーが取れたら、二箇所のネジを外してHDDを取り出す。
HDDを取り出す

7.SSDをマウンタにつける。マウンタがないと3.5インチのHDDのあった場所に2.5インチのSSDは取り付けられない。自分はHDM-34Aを買った。理由はこのマウンタが脱着しやすく、ほとんどの機種に対応しているため。
HDM-34A

8.SSDの裏の穴とマウンタを合わせてネジをつけるとご覧の通り。ここは簡単だと思うので付け方の説明は省く。
裏の穴とマウンタ

9.SSDのついたマウンタをカバーにつける。この後、SATAのケーブルをつけるため極力端子側が前に出るようにした方が良い。
マウンタをカバーにつける

10.5→4→3→2→1の順番で全てのカバーとSATAケーブルをつけてケーブル類もつけ直す。

11.起動。最初にBIOS画面で認識しているか確認するのがセオリーだが自分はいきなりWindowsを立ち上げた。

12.Windowsが起動したら、コントロールパネル→管理ツール→コンピューターの管理を起動。検索でコンピューターの管理を出した方が早いけど(特にWindows11)。
画面

画面

画面

13.「不明なディスク」があるので、右クリックをして「ディスクの初期化」を選ぶ。ディスクはGPTを選ぶ。選ばないと2TB以上が認識されない。そして「OK」をクリック
不明なディスク

14.次の画面も「次へ」をクリック

※この辺りにドライブ選択の画面があったと思うけどスクリーンショットを撮り忘れた。DドライブだったらDを選ぶ。

15.シンプルボリュームサイズの容量を最大にして「次へ」
シンプルボリュームサイズ

16.下記の画面の通りに設定して「次へ」をクリック
NTFS

17.フォーマットが始まる。終了したらDドライブが表示される。
Dドライブ

 自分にとって当たり前過ぎてすっ飛ばしているところがあるかもしれんけど、これで交換できる。機種が違ってもネジやカバーの外す場所が違うだけで、やることは変わらない。Inspiron 3470はマウンタがいらなかったっぽいけど、慣れたやり方が一番楽なので。
 ちなみにデータ保存場所をSSDに替えても恩恵はあまりない。起動時にDドライブを読み込む際、多少早くなったくらい。検索もあらかじめインデックスを作っておけばHDDでも早いし。
 ただの自己満足なので素直に大容量のHDDにした方が安い。交換の手順は同じなので参考にはなると思う。
 以上!


第8回戦国尼子フェスティバル(本番)

 第8回戦国尼子フェスティバル(勝手に前夜祭)の続きです。

 令和5(2023)年10月22日(日)、フェスを見るため汽車で安来駅に行く。

(米子駅と安来駅)
米子駅

安来駅

 そこから駐車していた車で月山富田城近くの飯梨川河川敷駐車場に向かった。9時過ぎには着いた。

(会場近くに建つ尼子経久の像。フェスの成功を見守っている)
尼子経久の像

(会場と駐車場)
会場

駐車場

 その後、開始まで時間があったので月山富田城に登ってみた。

(尼子再興しそうなくらいある幟)
幟

(山中鹿介の像まで登ったら予想通り途中で知り合いにあった)
月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

(安来市立歴史資料館の企画展も見た。解説パネルばかりで何かのついでに見る程度でいいかなと思った)
企画展

 その後、一緒に行動する約束をした数人と合流し会場に向かう。お酒などの尼子グッズや地元の食材を使った料理などのブースがあった。

(尼子まんず。饅頭のこと。「まんじゅう」が出雲言葉だと「まんずぅ」になるため名付けられた)
尼子まんず

 一通り見た後、武者行列を見に行く。

(無理矢理参加させられた感のある地元の中学生たち)
中学生

(今回のメイン。尼子十勇士)
十勇士

(多分、本隊)
本隊

(尼子武者隊)
尼子武者隊

(尼子十旗隊? 良く分からんかった)
尼子十旗隊

(浜田手づくり甲冑隊&赤穴瀬戸山城の光清隊(!?))
赤穴瀬戸山城

 などなどたくさんの甲冑隊が会場に集まり勝ち鬨を上げていた。
勝ち鬨

勝ち鬨

 会場でのイベントが終わり引き上げて来ると甲冑隊の皆さんとの撮影会が始まった。

(尼子経久の像の前に集結する尼子十勇士(の内、7人))
尼子十勇士

(そして皆で頼んで山中鹿介に決めポーズをしてもらった。周りから「いい祈りだー!」との声援が飛んでいた。祈らない鹿介なんて鹿介じゃない)
山中鹿介

 それから雑談をした後、小説「謀聖 尼子経久伝」著者の武内涼さんや安来市長などのフリートークを聞いた。
フリートーク

 それが終わると後は地元の方々のイベントだったので、皆で月山富田城の本丸まで登ることにした。
月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

月山富田城

 下山して解散した。いやいや、動き回って喋りまくったのでくたびれましたわ。

感想:楽しかったので5年後もあるといいな・・・。安来市の財政状態と考えると不安しかない。
 やはりこういうファンが集まるというイベントがあるのは大事。内容は地元のお祭りという感じでもいいから、とにかく集まる機会として残して欲しい。
 二日間、相手をしてくださった皆様、本当にありがとうございました!


第8回戦国尼子フェスティバル(勝手に前夜祭)

 令和5(2023)10月21日と22日、5年に一回行われる第8回戦国尼子フェスティバルが催された。しかし21日は全国尼子一族大集会で後裔しか参加できないため、自分を含めた有志(勇士?)4人で尼子氏ゆかりの史跡を廻った。

・松江城・・・言わずと知れた国宝。その前は尼子や毛利と関係のある末次城だったらしいので関係はある。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(三の丸(県庁)に建つ雲州松平家初代・松平直政。像のポーズの由来はこちらを参照)
松平直政

(二の丸や天守などを廻った)
松江城

松江城

松江城

松江城

松江城

松江城

松江城

(城を廻った後は八雲庵で出雲蕎麦を食べる。私は普通に割子蕎麦を頼んだ)
八雲庵

八雲庵

八雲庵

八雲庵

(その後、移動して亀井塚を参拝。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照)
亀井塚

(時間があったので今度は出雲安国寺に行く。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照)
出雲安国寺

出雲安国寺

(まだ時間があったので平浜八幡宮&武内神社を参拝した。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照)
平浜八幡宮&武内神社

平浜八幡宮&武内神社

平浜八幡宮&武内神社

(続いて長源寺。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照)
長源寺

長源寺

(そして揖屋(揖夜)神社。歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参照)
長源寺

長源寺

(黄泉比良坂。あの世とこの世の境目の場所である。最近、テレビで取り上げられて人気スポットになったらしく駐車場に駐められないほど車があった。自分には大切な人も会いたい人もいないから誰かいるかなと思い「大切な人ねえ」と何度も言っていたら、同行者から「さっきからそればっかりだな!」と言われた)
黄泉比良坂

黄泉比良坂

 史跡巡りはこれでお終い。宴会会場に行って更に3人を足した合計7人で尼子の宴が始まった。料理の量の多いこと・・・。美味しかったけど食べきれなかった。そして飲み放題だったので飲み過ぎた。
 みんなで主に尼子勝久、山中鹿介、立原久綱のことについて話した。
宴会

宴会

宴会

宴会

 翌日に備えて20時過ぎに解散。私は同じ方面の方の車で送ってもらった。

感想:とにかく尼子の話で盛り上がった。こんなに尼子、というより戦国時代の話をすることがないので非常に楽しかった。

 第8回戦国尼子フェスティバル(本番)に続きます。