住所:愛知県碧南市築山町2-66
時宗。天台宗だったが1339年に時宗となる。1359年、和田氏の庇護で伽藍が整備され時宗の一大拠点となった。室町時代、松平家の始祖で遊行僧だった親氏とその父・有親が滞在し、有親は当寺で亡くなっている。その後、親氏は矢作川沿いに北上し松平郷に入り、松平家の婿となった。
親氏の曾孫で徳川家康の曾祖父・信忠は寺領を寄進している。1543年、当寺での連歌会で発句「神々の ながきうき世を 守るかな」に対して家康の父・広忠が「めぐりは広き 園の竹千代」と脇句(発句の次に付ける七・七の句)をつけ、ここから当時の住職が家康の幼名を竹千代と名付けたという。
江戸時代初期は徳川家所縁の寺ということで庇護されたが、延宝年間(1673~1682年)に伽藍が焼けてしまい、再建したものの往事の寺勢は取り戻せなかった。
(宝物殿。信忠の娘・東姫が深く信仰し本尊とした聖観音菩薩立像などが納められている。聖観音菩薩立像は、もとは甚目寺の秘仏であったがある日住職が夢告により甚目寺から迎え安置したという)
(松平清康の父・信忠の墓。一族や家臣の反発を受けて若くして清康に家督を譲り当地に隠居した。しかし完全に表舞台から消えた訳ではなく幼い清康をサポートしていたと考えられている)
感想:徳川(松平)満載のお寺でした。
>さのすけさん
ここは良かったですねえ~。私が行った時も参拝客が結構いましたよ。
このお寺は見応えがありましたね。
参拝して、そう思いました。
お寺の方から写真を撮る方が多いと
お聞きしました。