鴻ノ森城(長宗我部氏と本山氏の激戦の城)

●鴻ノ森城
住所:高知県高知市福井町
駐車場:無し

 河野森城・高森城・神森城とも。戦国時代、土佐の平野部に進出してきた本山氏は神森出雲を城主とした。永禄4(1561)年頃、潮江城を攻略した長宗我部元親が当城を囲んだが攻め落とせなかったため、福留儀重が水の手を断つ。それでも耐えた本山軍だったが、長宗我部軍の少数の兵が北側から城に登り火を放ったため混乱に陥り出雲は自害して落城した。

(登頂中にあった建物。この辺りはミカン畑になっているらしい)
建物

(巨石)
巨石

(曲輪)
曲輪

(主郭)
主郭

(城址からは高知市内が一望できる)
高知市内

感想:マップの入口辺りに駐車スペースがありますが駐めていいのかは不明です。


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源希義神社(源希義の墓)

●源希義神社
住所:高知県高知市介良
駐車場:無し

 祭神は源希義。平治元(1159)年の平治の乱後、源頼朝の弟・希義は土佐に配流された。治承4(1180)年に頼朝が挙兵すると希義も呼応しようとしたが、平氏方によって年越山で討ち取られてしまう。そのまま放置されていた希義の遺体は介良にいた僧・琳猷(りんゆう)が葬った。その後、鎌倉幕府を成立させた頼朝が琳猷に介良で寺領を与え、西養寺を創建し希義の菩提を弔う。しかし明治維新後の廃仏毀釈で廃寺となった。その跡地に希義を祀る神社が建てられる。
 長宗我部元親の弟・親貞が継いだ土佐吉良氏は希義の流れを汲んでいるという。

(入口の石碑)
入口の石碑

(西養寺跡にある石垣)
西養寺跡にある石垣

(鳥居)
鳥居

(祠)
祠

(伝・源希義の墓)
伝・源希義の墓

感想:入口は分かりやすいのですが神社までの道が竹林を通るので迷うかもしれません。当社の北側の畑沿いにも神社がありますが、そちらは関係がないようです。


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真島氏逆修塔(鳥取県大山町)

●真島氏逆修塔
住所:鳥取県西伯郡大山町加茂
駐車場:無し

 梶原村(大山町加茂の一部)の住民で新羅三郎義光の後裔を称していた真島氏が、天正2(1574)年に建てた逆修塔である。江戸時代は庄屋を務め阿弥陀川の水利権で争論が起きた際、仲裁し和議を成立させている。元・名和小学校の跡地の前にあったが近年になって移転された。

真島氏逆修塔

感想:ツイッターに載せた写真が間違っていると指摘があったので改めて撮影に行きました。