真田より活躍した男 毛利勝永

 以前より毛利勝永を推され大阪や小倉で勝永の座談会を主催されていた有川さんから「真田より活躍した男 毛利勝永」を拝受した。この本は有川さんが著者の今福さんに出版を勧められた方で取材にもかなりの協力をされている。そんな想いの詰まった一冊である。
 読み終えたので本の感想を書いてみた。

・第一章:毛利氏の出自から九州攻めまでを紹介
 感想:私はこの章に一番興味があった。出自についてははっきりしたことが分からなかったのは残念だが、史料が少ないので仕方が無いか。九州攻めまでの活躍はほとんど知らなかったので勉強になった。

・第二章:豊前に入ったが戦乱の収まらない九州での毛利父子の苦労を描く
 感想:あちこちで一揆が起き、その対処で大変そうだった。それに対応できる能力があると思われたからこそ九州の玄関口に毛利父子を配置したのだろうけど。

・第三章:朝鮮出兵など
 感想:興味を持ったのは朝鮮出兵での事ではなく、霊山の英彦山を毛利氏が取り込もうとしたことである。当時は全国の領主が地元の有力寺社への対応に苦慮しており、最近そのことが気になっていたので。

・第四章:関ヶ原の戦いでの毛利父子の動きを詳細に描く

・第五章:改易、そして土佐配流
 感想:勝永の妻・安姫が龍造寺家の出身だということは聞いていたが、本で読むのは初めてだった。佐賀市の高伝寺は参拝したのに安姫の墓に気が付かなかった。がっかり…。

・第六章:大坂入城
 感想:どうやって土佐から大坂まで行く船を調達したのかと思っていたのだが、普段から大坂とやり取りをしていて船も所有していたらしい。

・第七章:大坂の陣での活躍
 感想:勝永と言えば夏の陣の天王寺での活躍だろう。概略は知られているが、ここまで詳細に描いてある本は読んだことがない。

・第八章&終章:勝永の最期と土佐生存説
 ・土佐市波介の墓は二度ほど参拝したが、あれが伝承も含めて唯一の勝永の墓だと思うと悲しい…。

 まとめ:様々な史料を使ってここまで詳しく勝永のことを書いた伝記は無かったため、今後は勝永に関しての資料と言えば最初にこの本の名前が挙がることになるだろう。

 最近、本の感想を書いて無いから上手くまとまらない。
 有川さんの他にも龍造寺に詳しい方なども協力されていて時間が無駄になるような内容じゃないから、とにかく読んで下さい。それで他の方が書評を書いて下さい。
 初版が少なかったのかネットで在庫が無いですが…。


神龍寺(土屋氏の菩提寺)

住所:茨城県土浦市文京町1-27

 曹洞宗。戦国時代、土浦城主・菅谷勝貞が創建し菅谷氏の菩提寺とした。寺宝には絹本著色普賢菩薩像がある。
 大正14(1925)年に当時の住職・秋元梅峰が海軍航空隊殉職者の慰霊のために始めた花火大会は、全国煙火競技大会となり全国の花火業者の登竜門になっている。

(入り口)
入り口

(本堂)
本堂

(たまき地蔵尊。土浦小学校創設以来、在学中に亡くなった児童・職員の霊を慰めるために創建された)
たまき地蔵尊

(豊川稲荷)
豊川稲荷

(山門)
山門

感想:菅谷氏のお墓はありませんでした。


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細川幽斎さんと島根県を旅しよう!その5(九州道の記・島根県西部編)

(5月5日~5月7日のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)
5~7日のマップ(温泉津~益田)

5月5日~5月7日:五日。出舟するに、跡にでも一折張行すべきよしにて所望なれば、当座に、
『浮き草の 根に引かれゆく 菖蒲(あやめ)かな』
 七日。浜田を出でて行くに、「高角といふ所なり」と言ふを舟より見やりて、
『石見潟 高角の松の 木の間より 浮き世の月を 見果てつるかな』
 と人丸の詠ぜし事思ひ出でて、
『移りゆく 世々は経ぬれど 朽ちもせぬ 名こそ高角の 松の言の葉』

 5日に温泉津を出向する際、連歌会を催したいのでまたも発句を求められたので即興で詠む。
「浮き草の根に絡まった菖蒲が引っ張られて流れて行く」
 7日に浜田(浜田市長浜町の浜田港)を出向して西に進んでいると
「ここは高角(益田市高津町の益田港)という場所です」
 と話しているのを聞いて舟から見て、柿本人麻呂(万葉歌人。益田市と所縁の深い人物)の歌である
「石見潟の高津の松の間から見える月を見て、この世の盛衰を全て見た」
 を思い出して
「世の中は移り変わったが高津の松のように人麻呂の歌も色褪せない」
 と詠んでいる。

(浜田港)
浜田港

(益田市内)
益田市

(益田市高津町に建つ高津柿本神社。柿本人麻呂を祀っている)
高津柿本神社

 この後、幽斎は長門(山口県北西部)を経由して九州に行き瀬戸内海を経由して近畿に戻っている。

 島根県では戦場に向かうというより物見遊山のような感じである(全体的にそのような雰囲気の日記だが)。各地で歓迎され発句を所望されていることからも幽斎の文化人としての知名度の高さが伺える。
 現在では航路は無理だが陸路は可能なため車で幽斎の旅路を辿るのも楽しいのではないだろうか。鳥取県大山町をスタート→松江市を経由して出雲市で一泊→大田市を見て廻り浜田市を抜けて益田市で一泊、の二泊三日のコースなら辿っていくことが可能だろう。

(島根県での幽斎のルート。実際の道は考慮せず通過した場所を直線で結んでいます)
島根県のマップ

(幽斎さん、お疲れ様でした。写真は熊本県熊本市中央区黒髪4丁目の立田自然公園内に建つ幽斎の墓)
細川幽斎の墓

参考文献:新編日本古典文学全集48(中世日記紀行集)、島根県の歴史散歩、島根県の地名