常陸竹原城(椿山稲荷神社)

住所:茨城県小美玉市竹原字館1125

 1559年、大掾氏が築城する。1590年、豊臣秀吉から常陸支配を公認された佐竹義宣の攻撃を受け落とされたため廃城となった。土塁や空堀が残っている。

(全景)

(案内板と土塁?)

(鬼門守護として建てられた椿山稲荷神社)

(椿山稲荷神社の拝殿)

(道鏡法皇祠。下野の薬師寺に左遷された道鏡は竹原の住民に招かれ住むようになった。その後、道鏡様と呼ばれる祠が建てられ商売繁盛や安産の神様として祀られている)

感想:場所が分からず近くで農作業をされている方に尋ねてやっと辿り着きました。


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常陸柿岡城(柿岡氏の居城)

住所:茨城県石岡市柿岡

 鎌倉時代初期に常陸守護職・小田(柿岡)時家が築城したという。戦国時代末期になると梶原政景が城主になるが、政景が小田城に移ると真壁房幹が入る。その後、長倉氏・国分氏・立花氏・稲葉氏が城主となるが、江戸時代初期に稲葉氏が相模小田原城に移ると稲葉氏の飛び地を経て幕府の直轄地となる。
 現在は柿岡小学校と柿岡公民館になっている。

(小学校の入り口に建つ城址碑)

(小学校の裏に残る土塁)


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常陸笠間城(笠間氏・浅野氏の居城)

住所:茨城県笠間市笠間

 13世紀前半に宇都宮氏の一族・笠間晴朝が築城した。1590年、笠間氏が小田原攻めで北条氏に味方したため滅ぼされ宇都宮氏の城となる。しかし1597年、宇都宮氏が改易となりその後は蒲生氏・浅野氏などが城主となり、1747年に牧野氏が入って明治維新を迎えている。
 石垣・曲輪・堀など遺構が残っている。

(笠間城主下屋敷跡の碑)

(近くの碑に時鐘と刻んであった。時間が来ると鳴るんだろうか)

(大石内蔵助良雄像。浅野家がいた関係だろう)

(笠間満州分村懐古之碑)

(義士顕彰碑)

(本丸に向かう途中の道)

(石垣)

(遺構かと思って撮影)

(笠間城跡の碑)

(八幡台櫓跡)

(堀)

(肝心の天守は東日本大震災の影響で入れなかった)

(仕方が無いので天守跡をズームで撮影)

(本丸の土塁)

(城趾の下にある大石邸跡。車で帰る途中見つけたので撮影した)

感想:本丸まで登るのが大変だったので、天守まで行きたかったです…。


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