2015年四国史跡巡り(5日目その3:源義経の像・阿波夷山城・一宮成祐の墓)

25.源義経公之像・・・徳島県小松島市芝生町旗山。1185年に義経が小松島市に上陸して高松市の屋島で戦ったことから1991年に旗山に建てられた。足元から弓の先まで約7メートルあり、騎馬像では最大である。

感想:国道55号からいつも見ていましたが、今回は初めて間近で見ました。写真では分かりませんが、とにかく大きい。


26.阿波夷山城・・・徳島県徳島市八万町。南北朝時代は八万城と呼ばれた。戦国時代には細川真之・篠原氏・庄野氏が城主となる。1582年11月、阿波一宮城主・一宮成祐が当城に呼び出されて謀殺されたことで知られる。四国攻め後、廃城になった。
 現在、一部が圓福寺公園になっている。

(遠景)

感想:碑があったらしいのですが見逃しました。山頂の付近は立ち入り禁止になっています。

27.一宮成祐の墓・・・徳島県徳島市八万町。元親に謀殺された一宮城主・一宮成祐の墓(供養塔?)である。

感想:この辺りは道が狭いため気を付けて下さい。


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2015年四国史跡巡り(5日目その2:新開神社・阿波牛岐城)

23.新開神社・・・徳島県阿南市富岡町。新開実綱を祀っている。

(神社への入り口。社叢は見えるが入り口が分からず周辺を車でうろうろしていた)

(鳥居)

(再建の碑。内容は実綱が長宗我部元親に謀殺されたことから始まり再建に至るまでの経緯が刻んであった)

(祠)

感想:牛岐城趾公園に駐めて行きました。

24.阿波牛岐城・・・徳島県阿南市富岡町トノ町24-3。築城年代は不明だが、室町時代に細川氏の家臣・新開氏が入った。戦国時代の後半に新開氏を謀殺した長宗我部氏が支配したが、四国攻め後に阿波を与えられた蜂須賀家の家臣・賀島氏が城主になる。その後、賀島氏が富岡城に改名している。

(牛岐城趾公園の入り口)

(本丸跡の小丘)

(丘の上に建つ城址碑)

(山頂は恋人の聖地になり愛の南京錠があった)

感想:7年前に行ったのですが、車を駐めたので寄ってみました。


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2015年四国史跡巡り(5日目その1:八幡神社・新開実綱の墓)

 阿南市のホテルで起床。朝からさっそく史跡を廻る。

21.富岡八幡神社・・・徳島県阿南市富岡町滝の下。祭神は応神天皇など。牛岐城主・新開実綱が創建したという。蜂須賀家が阿波を治めると家臣の賀島長政が社殿を造営した。

(鳥居)

(参道)

(拝殿)

感想:次の目的地に行く時、鳥居が見えたので寄ってみました。

22.正福寺・・・徳島県阿南市富岡町滝の下28。真言宗。新開氏や賀島氏の庇護を受けている。

(五重塔)

(ぼけ封じ観世音菩薩)

(本堂)

(八十八所堂)

(1966年に市内の桑野町の梅谷寺から移された新開実綱の墓。八十八所堂のかたわらにある)


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