壬生城(壬生氏の居城)

住所:栃木県下都賀郡壬生町本丸1

 1462年、壬生胤業が壬生城の北に居館を構えたのが始まりと伝わる。その後、文明年間(1469年~1487年)に壬生綱重が現在地に城を築く。小田原攻め後に壬生氏が改易されると、結城秀康・日根野氏・鳥居氏などが城主となっている。
 本丸が140メートル四方あったと伝わるが、ほとんどの遺構は破壊され現在は壬生町城址公園となって南側に遺構が残るのみである。

(土塁と堀)

(公園入り口に建つ門)

(橋と土塁)

感想:移築門も残っているそうです。


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歓喜院(羽生田城北の丸跡)

住所:栃木県下都賀郡壬生町羽生田2169

 真言宗。1170年、奈良興福寺の巧智が創建したという。南北朝時代、現在地に移転された。羽生田城があった時代には城と土橋で繋がっており、北の丸として機能していたと推測されている。1995年に伽藍が改修された。

(楼門)

(鐘楼。右奥は羽生田城跡に建つ羽生田小学校)

(本堂)

感想:羽生田城を見ている最中、目に入って「城に関係があるのだろうか」と思い行ってみたら、その通りでした。


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羽生田城(壬生城の支城)

住所:栃木県下都賀郡壬生町羽生田2139

 文亀年間(1501年~1504年)、壬生綱重が築いたと伝わる。壬生城の支城だったが、1590年の小田原攻めで壬生氏が北条氏に味方し滅亡したため廃城となった。
 現在、本丸や二の丸は羽生田小学校が建っており、三の丸の一部に遺構がある。

(羽生田小学校)

(土塁の上に建てられた明神社)

(三の丸の土塁と堀跡…だが写真だとほとんど分からない)

(堀の一部だと思われる)

感想:小学校を目指して行けば辿り着けます。


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