2014年出雲東部史跡巡り(1日目その5:赤穴八幡宮・赤穴氏の墓)

・赤穴八幡宮・・・島根県飯石郡飯南町上赤名。祭神は別雷命・玉依姫・健角見命など。770年に創建された。社宝に国指定の重要文化財である大鞆和気坐像・息長足姫坐像・比売神坐像がある。

(入り口。左横に駐車場がある)

(鳥居)

(拝殿)

(赤穴氏などが祭神として祀られている剱神社)

(社叢)

(神社の入り口から赤穴瀬戸山城を望む)

・大光寺・・・島根県飯石郡飯南町上赤名。赤穴氏の菩提寺である。

(地蔵)

(赤穴瀬戸山城主代々墓地。「城主代々」ということは赤穴氏以外の方も葬られているのだろうか?)

感想:「赤来町史」にも寺の詳細が載っていませんでした。


 いい時間になったので町内の親戚の家に行って墓参りをすませた。いやはや疲れた…。そのまま親戚の家に泊まりました。
本日の感想:いつか来ようとは思っていたのですが、なかなか機会が無くて…。遠いものですから。


2014年出雲東部史跡巡り(1日目その4:赤穴瀬戸山城・蓮光寺)

 ようやく飯南町に到着。とにかく遠かった…。取りあえず史跡の情報を手に入れるため道の駅に行く。ここでお隣の広島県三次市と「みよしっていいなん」というキャンペーンをしていることを知る。そりゃ山陰側から行ったら遠いはずだわ…。山陽側からも遠いだろうけど。
 駅で全体の観光マップを見つけたが、これは置いているもので配っていないとのこと。「何とかならないですか」とお願いしたところコピーしていただいたので、お礼に塩羊羹を買った。余計なお世話かもしれませんが、このマップは観光客用に刷っておいた方がいいですよ…。

(観光マップ)

(購入した塩羊羹)

・赤穴瀬戸山城・・・島根県飯石郡飯南町下赤名。出雲・備後・石見の国境にある要衝であった。1377年、佐波常連が築城したと伝わる。佐波氏はその後、赤名姓を名乗り、出雲国内で尼子氏が台頭してくると従った。1542年、大内義隆が出雲を攻めた際、最終的には落城したものの二ヶ月もの間大内軍を足止めし消耗させ尼子軍を勝利に導いている。1562年に毛利元就が出雲を攻めた際も籠城するが降伏し元就に従った。関ヶ原の戦い後、堀尾吉晴が出雲の国主となると家臣の松田吉久が入るが、一国一城令で廃城になっている。

(造り酒屋と城。この構図で撮るのが定番らしい)

(赤名小学校の裏に登山口がある)

(松田左近将監吉久の墓。福島正則の酒呑み仲間として有名だそうだ。正則が隣の広島県に移封されたので、酒を飲みに広島まで行った…ということは無いか。畿内であった時に飲んだくらいだろう)

(大手門跡)

(廃城の際、破壊された石垣)

(主郭の石垣とソーラーパネル)

(主郭から飯南町の中心部を望む)

(広島県三次市方面(南)を望む)

感想:時間が無かったため東郭群などは見られませんでした。

 城を下ると町内の散策をする。

・蓮光寺・・・島根県飯石郡飯南町下赤名665。浄土真宗。創建年代は不明である。石垣の石は赤穴瀬戸山城の攻防戦で城から落とされたものだと伝わっている。

(本堂)

(石垣)



2014年出雲東部史跡巡り(1日目その3:禅定寺・法王寺・龍頭ヶ滝)

・禅定寺・・・島根県雲南市三刀屋町乙加宮1874。天台宗。天平年間(729~749年)に行基が開基したと伝わる。寺宝に国の重要文化財・木像聖観音立像などがある。

(仁王門)

(山門。この近くまで車で来られるが駐車場がほとんどないため仁王門前に駐めて歩くのが安全)

(根本堂)

(これは…なんていうのか忘れた)

(薬師堂。隣で地元の方が草取りをされていました)

(寺から見た眺め)

感想:駐車場の案内がないため山門近くまで車で行ったら、バックで引き返すことになり大変でした。

・法王寺(鹿介古戦場)・・・島根県出雲市野尻町21。天台宗。行基が開基したと伝わる。南北朝時代、三刀屋氏の所領を横領したほどの勢力を誇った。1569年、毛利軍と尼子再興軍の戦いで戦場となっている。

(山門)

(地蔵)

(鐘楼門)

(本堂)

感想:禅定寺と法王寺は違う市にありますが、山を越えたらすぐです。


 ここで昼食で蕎麦を食べた後、寄り道をする。

・龍頭ヶ滝・・・島根県雲南市掛合町入間八重滝。日本の滝百選の一つ。

(滝谷川)

(滝谷川と女滝)

(女滝)

(雄滝)

(雄滝の洞窟内にある龍頭不動明王)

(洞窟の中から滝を撮影)

感想:駐車場が分からず道路に駐めて行きました。結局、どこだったのでしょうか。