住所:山形県上山市中山
1600年9月、最上義光の領内で各地の城を攻めていた直江兼続軍であったが、関ヶ原の戦いでの西軍の敗報があり撤退することになった。その際、広河原に布陣した最上軍が直江軍の一隊に襲いかかったものの撃退している。
(戦死者を弔った首塚…なのだが、雑草のため説明版の一部しか分からなかった。首塚は写真の右辺りにあるらしい)
住所:山形県上山市中山
1600年9月、最上義光の領内で各地の城を攻めていた直江兼続軍であったが、関ヶ原の戦いでの西軍の敗報があり撤退することになった。その際、広河原に布陣した最上軍が直江軍の一隊に襲いかかったものの撃退している。
(戦死者を弔った首塚…なのだが、雑草のため説明版の一部しか分からなかった。首塚は写真の右辺りにあるらしい)
住所:山形県上山市元城内3ー7
1400年頃、里見満長が虚空蔵山に高楯城を築いたのが始まり。1535年、伊達稙宗に奪われていた高楯城を満長の子孫・武衛義忠が奪い返して、現在地に移し上山城と改名した。
江戸時代には里見氏・坂氏・松平氏・蒲生氏と城主が替わり、土岐氏の時代に整備される。その当時は東に前川、西と南に沼と沢があり、城壁が巡らされていた。しかし1692年に天領となると建物などが破壊されてしまう。その後、当地を金森氏や松平氏が治めるが、城が再建されることは無かった。
現在は月岡公園として整備され、1982年に郷土資料館として建てられた模擬天守がある。
(紫衣事件で上山に流された沢庵が上山城主・土岐氏に治世のあり方を説いた上中下三字説の碑)
感想:西に堀跡があったようなのですが見忘れました。行った日は「上山かかし祭り」の日で城の周辺は大混雑しており、大名行列のようなものが練り歩いていました。