広河原古戦場(最上義光と直江兼続激戦の地)

住所:山形県上山市中山

 1600年9月、最上義光の領内で各地の城を攻めていた直江兼続軍であったが、関ヶ原の戦いでの西軍の敗報があり撤退することになった。その際、広河原に布陣した最上軍が直江軍の一隊に襲いかかったものの撃退している。

(古戦場)

(戦死者を弔った首塚…なのだが、雑草のため説明版の一部しか分からなかった。首塚は写真の右辺りにあるらしい)


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龍雲寺(慶長出羽合戦所縁の寺)

住所:山形県上山市中山2569ー1

 1601年、中山城主で上杉家の家臣・横田旨俊が慶長出羽合戦の戦死者を弔うため開基。1901年の大火で伽藍が焼失したが、1923年に本堂が再建されている。

(入り口。奥に駐車場らしき場所があった)

(六面石幢)

(後生車(念仏を唱えながら車を回して死者の供養をするもの)。お寺で良く見ますね)

(モダンな本堂)

感想:めっちゃ山奥に建っていた印象がありましたが、改めて地図を確認すると奥羽本線の駅が近くにありました。


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上山城(月岡城)

住所:山形県上山市元城内3ー7

 1400年頃、里見満長が虚空蔵山に高楯城を築いたのが始まり。1535年、伊達稙宗に奪われていた高楯城を満長の子孫・武衛義忠が奪い返して、現在地に移し上山城と改名した。
 江戸時代には里見氏・坂氏・松平氏・蒲生氏と城主が替わり、土岐氏の時代に整備される。その当時は東に前川、西と南に沼と沢があり、城壁が巡らされていた。しかし1692年に天領となると建物などが破壊されてしまう。その後、当地を金森氏や松平氏が治めるが、城が再建されることは無かった。
 現在は月岡公園として整備され、1982年に郷土資料館として建てられた模擬天守がある。

(二の丸跡に建つ模擬天守)

(紫衣事件で上山に流された沢庵が上山城主・土岐氏に治世のあり方を説いた上中下三字説の碑)

(土岐氏の偉業を讃えるため2001年に植樹された土岐桜)

(本丸跡に建つ月岡神社の拝殿)

感想:西に堀跡があったようなのですが見忘れました。行った日は「上山かかし祭り」の日で城の周辺は大混雑しており、大名行列のようなものが練り歩いていました。


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