本願寺新潟別院(与板城移築門)

住所:新潟県長岡市与板町与板乙4356

 1883年、与板井伊家8代目藩主・井伊直経が寺の建立を発願し、本願寺から本尊を授けられた。井伊家が現在地を寄進し1853年に本堂の工事を着工。しかし井伊氏の窮乏と幕末の混乱のため、1865年に本堂の立柱式を挙行したが屋根も葺かない状況だった。1870年、ようやく本堂が完成し翌年に落慶式が行われる。

(与板城(与板陣屋)の大手門を移築した一の門。直江兼続の居城だった与板城とは別)

(二の門)

(2003年に再建された本堂)

感想:長岡市与板歴史民俗資料館の隣に建っています。駐車場はそちらを利用させてもらいました。


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与板城(直江兼続の居城)

住所:新潟県長岡市与板町与板

 越後守護上杉氏の家臣・飯沼氏が本与板城を居城としていたが、長尾為景によって飯沼氏が滅ぼされると為景の家臣・直江氏に遺領が与えられる。やがて直江氏は与板城を築城し、そちらを居城とした。上杉景勝の重臣・直江兼続も当城を居城とし、城下町の整備に力を入れている。1598年、上杉家が会津に移封され兼継も出羽米沢に移封されると廃城となった。

(登り口に建つ八坂神社)

(竪堀)

(堀切)

(道の途中。旗は天地人の時のものだろう)

(曲輪)

(兼継の夫人・おせんがこの清水でお茶を点てたと伝わる『おせん清水』)

(門跡)

(腰曲輪)

(本丸)

(城址碑)

(直江山城守の碑)

(本丸の土塁)

(本丸からの眺め)

(本丸と二の丸の間にある堀切)

(二の丸と三の丸の間にある堀切)

(大空堀)

(大人数を収容できる曲輪・千人溜)

感想:駐車場は八坂神社から少し離れた場所にありますが、案内版が建っているのですぐに分かります。
 大河ドラマ『天地人』のおかげか標柱が各所に設置されており、本丸にはボタンを押すと無料で説明が流れる箱(?)もありました。


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平等寺薬師堂(将軍杉)

住所:新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷2013

 曹洞宗。995年、平維茂が阿賀野川を下った際に見つけた黄金の薬師如来像を安置するための堂を建立したのが始まりと伝わるが定かではない。1517年、永源により再建された。本尊の薬師如来像は戦後に盗難に遭い紛失したため新たに作成されている。
 堂内には戦国時代に訪れた参詣者の落書きが残っており、御館の乱の際、越後に侵攻して上杉景勝軍に敗退し当寺に逃げ込んだ蘆名氏の兵が残した連名の墨書もある。

(入り口)

(鐘楼)

(薬師堂。桁行5.4メートル、梁間7.2メートルの寄棟造で屋根は妻入りの茅葺きである)

(将軍杉。会津藩主・保科正之が陸奥鎮守府将軍・平維茂を偲び樹下に墓碑を建てたことからこう呼ばれるようになった。村人が杉を切って船を作ろうとしたしたところ一夜にして地面に沈んだという伝説が残る。日本一の大杉だそうだが、高知県の大豊の大杉とどちらが大きいのだろうか)

感想:蘆名兵の連名の墨書が見てみたかったです…。しかし何のために残したのだろうか。「蘆名参上」みたいな意味、ではないでしょうね。


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