三河山崎城(山崎神明社)

住所:愛知県安城市山崎町城跡

 松平清康の弟・信孝は清康亡き後、遺児・広忠を助けるが次第に専横となったため、駿府に行って城を不在にしていた間に広忠らによって領地を没収される。そこで「信孝は広忠に対抗するため、安祥城まで進出していた織田信秀と通じ1543年に当城を築いた。しかし1548年、今川・松平連合軍に攻められて城を落とされている。その後、1585年の小牧・長久手の戦いの際、徳川家康が羽柴秀吉軍の襲来に備えて改修したという説がある。
 現在は近くに館を構えた保科正直が信仰していたという山崎神明社が建っている。

(一の鳥居)

(二の鳥居と拝殿)

(拝殿の龍の彫刻)

(本殿)

(本殿裏に残る土塁と空堀)

感想:空堀に降りる道がありましたが急だったので行くのはやめました。


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保科正直邸跡(正法寺)

住所:愛知県安城市山崎町大手83-1

 武田家の家臣・保科正直は、1582年に主家が滅亡すると北条氏直に属した。しかしのちに徳川家康についたため、小田原にいた妻子が氏直に殺されてしまう。正直は同情した家康から当地に領地を与えられたため、館を建て1590年の徳川家の関東移封まで住んでいる。

(浄土真宗大谷派・正法寺の山門。当寺の境内に館があった)

(本堂)

感想:塀がかなり傷んでいたのが気になりました。


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上条白山神社(三河三白山神社)

住所:愛知県安城市上条町浮橋

 安城市内にある大岡・上条・桜井の各白山神社を総称して三河三白山神社と呼ぶ。1603年、徳川家康は祖父・松平清康の出陣中に残された家族が武運長久を祈願したことから社領を寄進している。
 上条白山神社は白山媛神を祭る。もとは大市郷の鎮守神を祀っていたため大市神社と呼ばれていたが、戦国時代以降は現在の名前に変わった。1603年、徳川家康が旧臣・米津盛円を祭祀にあたらせている。

(鳥居)

(境内に建つ厳島社)

(鳥居からL字型に進むと拝殿が見えて来る)

(拝殿)

(拝殿の左に建つ神明社)

感想:鳥居の奥に駐車場があります。


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