白山社(徳川家康所縁の神社)

住所:愛知県碧南市久沓町1-5

 祭神は伊弉冉尊・保食神。平清盛が崇敬していた白山権現を清盛の一族・平康和が1147年に勧請した。1582年6月、神君伊賀越えで大浜まで逃げ延びてきた徳川家康は歯痛に悩んでいたが、当社で祈願したところ痛みが引いたため、社領を寄進している。
 1652年、社殿が造営され久沓村の鎮守となった。宝永年間(1704~1711年)、幕領(天領)の代官・鳥山精之が社領を寄進し境内を拡張している。1950年に郷社となった。

(鳥居)

(境内)

(拝殿)

感想:家康の逸話から現在でも歯痛を治してくれる神様として祈願をしに来る方が多いそうです。
 境内で野球をしていた中学生の邪魔をしてしまいました…。ごめんなさい。


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熊野神社(松平広忠崇敬の神社、上の宮)

住所:愛知県碧南市大浜上町1-2

 祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉男尊。1054年、源頼義が奥州に向かう途中、海路で尾張から三河に渡ろうとしたが大風のために船が転覆しそうになった。そこで頼義が熊野権現に祈願したところ無事に大浜に着岸できた。感謝した頼義は紀伊の熊野本宮から勧請して仮宮を創建し祀っている。
 前九年の役で活躍した頼義は陸奥を離れて近畿に戻った。その途上か戻った後かは不明だが大浜に立ち寄り社殿を造営し鏡を奉納している。
 1543年、当社への崇敬が厚かった松平広忠は狛犬一対を奉納し松平家の祈願所とした。広忠没後の1550年、今川義元は長田喜八郎を神主とし神領の支配を認めている。広忠の息子・徳川家康の崇敬も厚く、1559年に社領を寄進している。その後、徳川将軍家・永井氏・水野氏らの崇敬を受けた。
 永禄年間に始まった奉射神事は今でも例祭の日に行われている。

(一の鳥居)

(厳島神社)

(那智社)

(二の鳥居)

(海神社。漁師の多かった街なので海上の安全を守る神を祀る神社が多い)

(拝殿)

(見事な彫り物)

(御神木の乳銀杏。冬にいったので、ご覧の状態でした)

(射小屋。1584年、徳川家康が十五両を寄進し弓道を奨励した)

(弓矢八幡社)

感想:大浜熊野大神社と同じく節分の日に来ましたが、こちらは誰もいませんでした。
 県の文化財に指定されている南山矢取塚は矢場に入れなかったため後ろから撮影して終わりました。なので、後から見ると何を撮ったのか良く分かりませんでした。


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津島社(村上義清所縁の神社)

住所:愛知県碧南市天王町7-26

 祭神は素戔嗚尊。信濃の武将・村上義清は武田信玄と激しく争ったが利あらず越後の上杉謙信を頼って落ち延び、帰国することなく1573年に亡くなる。生前、義清は牛頭天王の尊像を兜につけ加護を祈っていたが、没後に越後にいた大浜の住人が像を当地に持ち帰り祀った。これが津島社の御神体・牛頭天王と伝わっている。

(鳥居)

(境内。遊具があり子供の遊び場となっていました)

(拝殿。節分に行ったので、中は人でいっぱいでした)

(秋葉社)

感想:う~ん、まさかこんなところに村上義清と関係のある神社が建っていたとは…。


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