富士塚古戦場(第一次安城合戦)

住所:愛知県安城市浜富町6ー8

 1540年、織田信秀・水野忠政の連合軍が松平広忠の安祥城を攻撃すると、松平信康(広忠の弟。家康の息子とは別人)、松平利長らが援軍に駆け付けた。これに呼応して安祥城代・松平長家も討って出て激戦の末、信秀らの撃退に成功する。しかし信康・利長・長家も戦死するなど松平家も大打撃を受けた。
 後年、戦死者を弔うため当地の周辺に十三塚が築かれる。富士塚はその中心となる塚で、もとは武士塚と呼ばれていたと推測されている。

(富士塚)

(その2)

感想:本やネットには住所が安城市上条町になっているのですが、塚は安城コロナの敷地内にあるので、浜富町が正しいと思う。上条町は隣町なので、この辺り一帯が戦場だったとは思いますが…。それとも上条町に塚が残っているのだろうか。




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