富士塚古戦場(第一次安城合戦)

住所:愛知県安城市浜富町6ー8

 1540年、織田信秀・水野忠政の連合軍が松平広忠の安祥城を攻撃すると、松平信康(広忠の弟。家康の息子とは別人)、松平利長らが援軍に駆け付けた。これに呼応して安祥城代・松平長家も討って出て激戦の末、信秀らの撃退に成功する。しかし信康・利長・長家も戦死するなど松平家も大打撃を受けた。
 後年、戦死者を弔うため当地の周辺に十三塚が築かれる。富士塚はその中心となる塚で、もとは武士塚と呼ばれていたと推測されている。

(富士塚)

(その2)

感想:本やネットには住所が安城市上条町になっているのですが、塚は安城コロナの敷地内にあるので、浜富町が正しいと思う。上条町は隣町なので、この辺り一帯が戦場だったとは思いますが…。それとも上条町に塚が残っているのだろうか。




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戦国武将列伝 真の最強は誰だ?

  メディアックスから発売された「戦国武将列伝 真の最強は誰だ?」の29ページに私の提供した本多忠勝墓所の写真が掲載されております。
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遍照院(三面大黒天)

住所:愛知県碧南市鷲林町2-13

 浄土宗鎭西派。本尊は阿弥陀如来。南北朝時代、南朝方として活躍した菊池頼武は晩年、荒子(碧南市荒子町)に隠遁し、1387年に和国寺を創建する。末裔の片山道智は徳川家康と所縁があり、家康の母が葬られた伝通院の住職を開山として、1624年に和国寺を廃寺とし当地に遍照院を創建する。
 和国寺の時代、本尊だった三面六臂大黒天立像は、弘法大師の作と伝えられている。商売繁盛を約束するといわれ、5月と11月の三面大黒天春秋大祭は大いに賑わう。

(入り口)

(山門)

(三十三観音)

(本堂)

(延命地蔵と閻魔大王が安置されている地蔵堂)

(長寿地蔵尊)

感想:間違って解体修理中の隣のお寺に行ってしまいました。この辺りは道が狭いため車で行かれる方は気を付けて下さい。




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