明王院(阿波井上城主・土肥家の菩提寺)

住所:徳島県吉野川市山川町井上214

 真言宗。四国三十六不動霊場九番札所。阿波井上城主・土肥家の菩提寺である。

(入り口)

(鐘楼)

(ふるさとの碑。何なのか良く分からなかった)

(辯才天)

(本堂と六地蔵)

(大師堂)

(二重堂)

感想:土肥氏のお墓は阿波井上城跡に建っています。


写真の提供についてはこちらをクリック


阿波井上城(細川氏・土肥氏の居城)

住所:徳島県吉野川市山川町井上

 1451年、細川常有が当地に川田城を築城。1505年頃、常有の曾孫・元常が当地を代官の谷馬之助に任せ京に上ったが、1509年頃に馬之助が謀叛を起こしたため、常有は土肥綱真に馬之助を討たせ丹治常直と共に城を守らせた。
 元常が三好氏のために本国の和泉半国を失い没落し阿波細川氏も三好氏に抑えられると、土肥康信は常直を討って城主となり井上城と改称して三好氏に従った。1579年、脇城外の戦いに土肥秀実は三好氏に従い出陣し長宗我部軍と戦って戦死。1582年、城も長宗我部元親に落とされている。
 小高い丘にあり東の川田川や御屋形谷が天然の要害となり、親族が城主だった阿波青木城などと連携し守りを固めていた。現在は遺構らしきものはない。

(全景)

(城趾に建つ土肥氏の墓)

感想:この辺りはとにかく道が狭く軽自動車でも難儀しました。


写真の提供についてはこちらをクリック


阿波青木城(市原氏の居城)

住所:徳島県吉野川市山川町古城

 1534年、阿波牛岐城主・新開氏の一族である市原兼継が築城。兼継は1579年の脇城外の戦いに三好軍として従軍したが、長宗我部軍に敗れ城も落とされたため自害している。
 当時は北の螢川を天然の守りに利用し、西と南に堀があった。現在は墓地と大師堂になっているが土塁などの遺構も残っている。

(大師堂。車はここに駐めましょう)

(大師堂の向かいにある碑)

(大師堂の西側。かつてはこの辺りに堀があった)

(現在は墓地になっている堀跡)

(弓場跡である矢塚)

(水堀跡)

感想:遺構は城に疎い私でも分かるくらいにしっかりと残っていましたが、一般の方の墓地になっているため写真が撮りづらかったです。


写真の提供についてはこちらをクリック